ここ、地獄で、そして地球で、天国で、混沌の海の底で、大いなる戦いがあった。後に黙示録戦役と呼ばれる大戦は、地球を壊滅させ、人類にも、人類家畜化作戦のために地上に現れた地獄の軍団にも、悪魔根絶と神聖エルサレム王国の建国を目指した天使の軍勢にも、多大な犠牲を産み、総戦死者は数え切れぬほどの犠牲者を出し、勝者亡きまま互いに罫線能力を失い、黙示録戦役は終わった。 アフターアポリカプス暦、二五三年ーー 勇者王アイオロスら八英雄と後に呼ばれることになる八人の人類解放を目指す勢力が、人類を奴隷とした魔王ルシェールと竜王ヴァイデスの軍勢を退け、今、正に最後の決戦を迎えようとしていた。竜王ヴァイデスの眠る地下九十九階の大聖堂への階段を下りながら、アイオロスは人類王国ハイランドの王、ベルナンド・ファーディガンに言った。 「お前たちは、もう手を出さなくていい」 ファーディガン王はアイオロスの真意を計りかねてこう答えた。 「手を出さなくていい? どういうことだ?」 「言ったとおりの意味だが? ここで無駄に死んでもらっては困る、だろう?」 アイオロスは大聖堂の中央で眠る巨大な竜王、ヴァイデスを親の仇のように睨めつけながら言った。そして彼は一人で階段から飛び下りで大聖堂に降り立つ。その鎧は黄金色のオリハルコンで出来ており、背中には鳳凰の羽のように八本の鎖が垂れていた。そして、その左手には皮のバックラー。右腕には、神を殺した魔剣だという曰く付きの、黄金聖剣、キングスレイヤーを握りしめて。 アイオロスは左手を翳してマジックミサイルを数発、ヴァイデスに向かって打った。が、それはヴァイデスから出る死の瘴気で掻き消えた。 「GRRRRRRUUUUUAAAAAAAAA!!」 地鳴りのような咆哮と共にヴァイデスは目覚め、アイオロスらに火炎を吐いた。その温度実に三万度。 「いけない!」 八英雄の一人エルテナはそう叫んで防御術式を展開させる。赤い魔法陣がアイオロス以外の八英雄、人類の王ファーディガン、アイオロスの弟アグストリア、エルフの姫、エルテナ、エルフの一小国の女王アマルテア、魔導王グリエル・ファラグリフォン、ダークエルフの魔法戦士カラス、ルシェールを裏切り人類解放軍に名を連ねる魔公爵レオナルドらを炎から守ったが、アイオロスは炎に包まれた。ローブが一瞬で焼け落ち、そこに炎の柱が立つ。だが、焼け落ちたのはローブだけで、アイオロスは無傷だった。 ヴァイデスの芽が赤く光りを放つ。その熱線がアイオロスの頭部に飛ぶ。だがアイオロスはそれをキングスレイヤーで弾き返した。 「ドラゴンは、殺す」 アイオロスはそう言うと、ヴァイデスの方に向かって、歩むことさながら魔王の如し。その無防備な歩みにヴァイデスは激しく尾を振り下ろす。 だが、アイオロスはこともなげにただの皮のバックラーで受け止め、こう言った。 「おはよう、サタンの末裔、そしてサヨナラだ」
* * * どこまでも続くような青い空、どこまでもつづくような蒼い草原。 二重の銀と金の太陽がその世界を照らす。 銀の太陽は銀色の十字架を描き、金色の太陽は八条の光を放っている。 ここは『無限の花園』。 真実の愛なる神と、正しい憎悪なる魔王、フェイトが二人で共に暮らす天地。 その無限の草原の世界に小高い丘が一つ。 その丘は純白のかがやく鱗粉を胞子のように飛ばすスズランの花園だった。 丘に沿って細い川が流れ、魚が跳ねる。 その川べりに小さな小屋が一つ。 水車がゆっくりと回り、まるで時計のようにこの時間さえも滅んだ世界でネジを回す。 小屋の中では一人の少女がダブルサイズの質素なベッドで寝息を立て、その寝顔を愛しむように微笑みを浮かべてみている年ごろ20代半ばの女が一人、立っていた。 女は金髪の長い髪をポニーテイルにし、背丈は身長160センチ半ば。 しかし、女は人間ではない。 そのエメラルドグリーンの瞳の瞳孔はまるで爬虫類のように縦に割れている。 女は純白の質素なウエディングドレスに身を包み、その腰には銀の剣を帯剣している。 この世界にいるのはこの女と少女のみ。 おおよそ武装する必要などないのだが。 女は少女の頭をかがんで撫で、こうひとりごちた。 「もう、そんな時が来たのね」 女の名前はフェイト。 神性魔王、第十三番目の悪、憎悪をつかさどる魔王。 しかしその生涯を通じてフェイトは悪を成したことがなく、憎悪の魔王ではあっても、悪魔ではなく、聖霊に近い存在だった。 フェイトは部屋を後にして外に出る。 そして、金色の太陽と銀色の太陽を包む怪しげな赤い光。 その光に包まれているのは、第九大罪、不実の魔王。 その亡骸だった。 短めのオールバックに紺のパジャマ姿の男は、赤い魔性の光に包まれて空に横たわる。 男は既に死んでいた。 そう、成すべきことを成さずに死んだ『不実』がこの男の罪。 聖書黙示録に登場する、『真実の口』と呼ばれる黙示録の騎士が、この男であった。 ゆっくりと羽のように揺れながら降下するその男を、フェイトは見ていた。 やがてその男はスズランの花畑の中に沈む。 赤い怪しげな光に包まれていた彼は、死にながら目を覚まし、その二つの太陽を見ていた。 「ここは……」 そう男は呟く。フェイトは男の傍らに立ち、彼の目を見る。 男は日本人のように見える。 しかし、その男はアルビノであり、頭髪も肌も粉雪のように白く、また、その眼は怒りに燃えるように赤かった。 フェイトは男に語り掛ける。 「意識はあるようね」 男は上体を起こして、少女のように足を揃えて座り直し、フェイトを見た。 「ここは?」 「ここは全ての願いが叶う場所。全ての夢が遂げられる場所。無限の花園へようこそ。第九魔王」 男は辺りを見渡し、そして我に返ったように心臓の位置に左手を当てた。 鼓動はない。 呼吸も止まっている。 しかし男はそれに動じず、フェイトに言った。 「第九魔王? ここは? 俺は死んだはずだ」 フェイトは柔らかな微笑みを添えて男に訊いた。 「あなたの夢は?」 男は怪訝そうに眉をひそめ、こう答えた。 「バラのように美しく、死ぬことだった」 「そのためにあなたは何をしたの? 「どう生きたのか? そうだな、時に酒を飲み、時にタバコを吸い、親の金で暮らし、ただその日が来るのを待った」 「それがあなたを魔王にした。黙示録最強の騎士たるあなたが、堕落して成すべきことを成さなかった。それがあなたの罪。あなたはただ背徳の星にラッパを吹きならせばよかっただけなのに。警鐘という名のリング・ア・ベル」 「俺なりにはやったさ」 「結果が出なかったのは、なぜ?」 「俺は世界のことなんか考えちゃいない。ただあるべき教えをそっと世界に流した。いつまでもそれが世界のどこかにある限り教えは残る。だからインターネットで新たな神の福音を公開した」 「かつて天国で最も勤勉だったあなたがそこまで堕落したのは、七人の悪魔王の陰謀」 「知っているさ。だからこそ俺は狂気に捕らわれ、『早く死にたい』と願うようになった。それは適った。俺はもうどうしようもないほどに死んでいる。血も霊も」 「魂まではあなたは死んでいない。真の神、『愛』のみ名の元、あなたの優柔不断さが招いた悲劇の続きを夢見るつもりはある?」 「それが贖罪になるならば」 「結構」 男とフェイトの間を猛烈な風が吹き抜け、スズランの花が舞う。 男を包んでいた赤い光は、白い突風に飲まれて掻き消えていった。 フェイトは男に手を伸ばして言う。 「もう一度だけチャンスがあるとしたら? やり直せるとしたら? あなたは何を選び、何を棄てるのかしら?」 男は考える 人生にチャンスなどない。努力しないものは流れに乗って生き、流れのままに死ぬだけだ。彼は言った。 「俺にさ、なにができるとかなにが正しいとかの選択権はないのさ。それが――」 「そう、それが運命。我は七天穿つ憎悪の荒魂! 七天駆ける愛の御霊! 憎悪と愛の竜王フェイトの名において――を新天地へといざなわん!」 フェイトは輝くその銀の聖十字宝剣を天に掲げてそう叫ぶ。 そして、黄金の風が吹き荒れ、その丘はおろか、無限に続く花園や空を飲み込む光の天使の羽。 七色の虹が二つの太陽を包む円となり、男はあるべき時、あるべき場所へと送られた。
* * * 北ヴェストリアーク大陸の北西にその国はある。ハイランド。魔王ルシェールが八英雄に討たれ、雨後の筍のように人類の王国が現れては消えて行ったが、八英雄の一人、ファーディガン王の建国したハイランドは、その厳しい環境にも関わらず、気骨ある騎士たちを生み、エルテナ天帝国に並ぶ版図と、軍事力を持つ大国だった。 ハイランド歴三四二年―― 気が付くと俺は牢獄の中にいた。みすぼらしいぼろを着て、汚らしい恰好だった。俺は牢獄に入れられているらしく、底冷えするその牢獄の鉄格子越しに周囲を見てみた。衛兵と思われる男が一人、槍を持って立っている。 「槍?」 この時点で俺はここが天国でも地球でもない、どこかの異世界ではないかと勘繰った。 俺は天国は知らない。だが、地獄は知っている。 狂気の最中に見たあの岩と砂漠の荒野。 それが地獄だ。 ここに来る前に起きたことはほとんど思い出せず、自分の名前さえ憶えていなかった。 部屋の中には冷えた食事と木のマグカップがあり、俺はそれを食べると、上着を脱いで左手で持ち、右手には木のマグカップをもってうずくまり喚いた。 「いてえ! 腹が! おいあんた! 医者を呼んでくれ! このままじゃ死んじまう!」 それを聞きつけた衛兵がこちらに寄って来るのを確認すると、俺はマグカップを左手に持った上着に隠して、衛兵が来るのを待った。 「騒がしいぞ! 医者だと?」 「死んじまう。助けてくれ……後生だ」 「少し待て、水をやる」 衛兵は迂闊にも鉄格子を開け、同時に俺は寝ている体勢からブレイクダンスのように回って立ち上がり、衛兵の顎をマグカップで殴り、気絶させた。 寝て暮らしていた俺にはできないはずの芸当だった。 気絶した衛兵から槍と盾を奪い、鍵束も奪った。気絶した衛兵を部屋の隅に転がし、鍵束で両手の鎖を外す。 慎重に牢獄を出て、牢内を忍び足で歩くと、ある牢屋の中にいる女が声をかけてきた。 「エディ! 脱出したのね」 その女はブロンドのショートボブで、しかし当然俺の知らない女だった。 「エディ? お前はだれだ?」 「冗談やってる場合じゃないでしょ? レイリアよ!」 レイリアと名乗った女はぱっと見人間だったが、耳が尖っていた。エルフだろうか? こっちはまるで状況がわからないし、俺と面識があるらしい女に右手の親指を立てて、俺はさわやかな笑顔で言った。 「君もくるかい?」