遮るものがない一面のガラス窓。 透き通った空、日差しが窓に降り注ぎ、はっきりと浮かぶ青々と美しい…富士山。 ここは、富士山世界遺産センター。窓ガラス越しにシャッターを切る。 すると、光の加減でうっすらとスマホを持つ僕が映り込んだ。 僕の名前は去来川唯生(さきかわゆいき)。 今日は、会社の社員旅行。コロナ渦もあり近場で日帰り。 雄大な富士山を臨む河口湖で景色を楽しみ、鳴沢氷穴では、ひんやりとした洞窟内に無数にできた氷柱が並ぶ神秘的な自然の世界を堪能した。感染者数は落ち着いてきたが、コロナが完全に消えていないこの時世もあり、皆、マスクをし、例年より静かであった。それでもそれなりに社員旅行を満喫していた。昼飯は山梨名物ほうとうを食べた。 そして、最後に立ち寄ったのが、富士山世界遺産センターだった。 旅行から帰ると、写真をいくつかピックした。河口湖と富士の圧巻の景色や魅惑的に輝く氷穴の氷柱、それにお昼のほうとう。ふと世界遺産センターで写した写真に手が止まった。若干、僕がガラス窓に映っている。 僕は、以前から趣味でSNSに写真をアップしていた。写真映えするスポットを積極的に探して写真を撮ってるわけではないが、なにとなく日常で気に入ったものを写真に写し投稿していた。僕のモットーは人が映り込んでプライバシーや肖像権の侵害にならないこと。必ず人が写らないように気を付けてシャッターを切っていた。 (これはやめようか。)自分の顔だし、顔自体もスマホで隠れていたけど、なんとも人間臭さが残る。そう思い僕が今までアップしてきた写真を改めて見直した。富士山や四季折々の花々、夕焼けや朝焼け、雨露のしたたる景色や歴史文化財の写真、美味しかった食べ物たちが並ぶ。今度は逆に、人が全く写っていない写真の数々がなんだかやけに不自然に感じた。SNSの名前も、“四季折々(しきせつせつ)”という個人名が想像つかない名前で、このSNSの主はどのような容相の何者なのか分からない。まるで小型のドローンカメラが自動的に写真を拾ってきたようで人の息を感じる要素が少し足りなく感じた。 (たまには、顔が隠れた姿がほんの少し写っててもいいのかな。)だけども、やっぱりなんだか不釣り合いだった。なるべく心が動いたとっておきの景色を収めてきたのに、こんな不格好で何の絵にもならないような男が、またこんな安価なスマホを掲げてるところなんて見たら、今までの写真を汚してしまう。それは一目瞭然なのに、もう少しだけこのSNSの写真に息を吹き込みたい気がし、揺らいでいた。 僕はスマホに内蔵されている過去の写真をくるくるとスクロールして眺めていた。SNSに投稿していない写真がたくさん撮りためられていた。ふと、一枚の写真で指が止まる。 車の窓越しから撮影したひまわり畑の写真…。 (一昨年の夏、か…。) 脳裏に満面の笑みで微笑む“彼女”の顔が浮かぶ。否、付き合ってはいない。彼女は、一昨年の新年に催された同窓会で、久々に会った元クラスメートの八弥子(ややこ)。 同窓会の日、宴会がはじまってから皆大分飲み食いし、にぎやかになった頃に、隅の方で親友の和也と二人だけで喧騒をさけるように静かに語らっていた僕の隣の席に八弥子はやってきたのだ。突如、僕の手前のテーブルにカランと空のグラス置き、 「一杯もらえる?」 と、八弥子が首を傾け僕の目を見つめて言った。 「あ、はい。」 僕は、まるで接客用AIロボットにでもなったかのように、自動で静かにグラスにビールを注いだ。 「ひさしぶりーっ。もう、愛想ないなぁ。」 彼女はえくぼを凹ませて笑う。下から僕を更に深く見つめた時、少しなで肩からずれ込んだ洋服の首元を、を片手で直した。いくらか飲み食いした唇は、つやっと煌き僕の心を揺らした。 「ねぇ、ここ行ったことある?」 八弥子はそう言うと、僕の腕に手を回して僕を近づけそしてスマホと画面を見せた。たっぷりの柔らかなクリームの上に、ルビーのような赤色の苺がまんべんなく飾られたふわふわのパンケーキ。 「この間、友達と行ったらもうお口がとろけて、ふわとろ!写真もインスタ映えするよね?」 そしてさらに僕に身体を密着させた。ふわりと八弥子の身体の柔らかさが僕の腕に伝わる。 八弥子は新緑と真っ青な空の景色を見せた。 「ここのカフェからこんな素敵な景色が眺められるの。」 「へぇ、そうなんだ。綺麗だね。」 「でしょ?どう?二人で行かない?」 「二人?和也もいかないかな?」 僕は、ふと先ほどまで談話してた和也が気にかかり振り返ると和也はそこにはいなかった。あちこち周囲を見回すと離れた席で別のクラスメートとお酒を飲んでいた。和也は、ふと僕の視線に気づき、にやりと微笑んでまた隣にいたクラスメートと話をし始めた。
「和也くんは、別の人と盛り上がってるみたいだね。ねぇ、二人でいこうよ。明日もお休みだよね? てか、今もこのまま二人で抜け出さない?」 僕は八弥子の言葉に少し驚いて八弥子の目を見た。八弥子の目は潤み、そして八弥子の左手は口の開いたチュニックの首元を弾いて鎖骨が際立った。 「あ、明日?明日なら空いてるよ!今日はなんかもう酔いが回っているし、また明日会わないかな?」 僕は少し戸惑いどぎまぎし答えた。 八弥子はちょっと目を細めて辛い顔をし、そしてまたいたずらっぽく微笑み直して 「うん、明日ね。わかったわ、いいわよ。」 と言った。 日曜日、喫茶店に行った。 帰りの車の助手席では、大好きなパンケーキを堪能したあとで満足げに座る八弥子がいた。いっぱいになったお腹に手をあて、嬉しそうに微笑んでいた。行きの車の中と喫茶で散々おしゃべりをした後だったので、今は少しだまって八弥子は僕の心に寄り添うように助手席に身体を委ねていた。 クーラーは心地よく風をあて、8月の車内と二人の距離を快適にしていた。帰り道は来た道と違い、川沿いを通った。(同じ道では退屈でないかな。)喫茶店に行くことしか決めておいてなかった二人のお出かけに僕は心を配った。 「わぁ、綺麗!」 河川敷から零れ落ちるくらい一面に黄色の向日葵が咲いていた。 「ここ、こんな綺麗な向日葵畑があったのね。わざわざわたしに見せるためにここを通ったの?!素敵!!」 助手席から八重子の歓喜の声と熱い視線が注がれる。 「ねぇ、ちょっと車を停めて。降りようよ。」 僕は、静かに車を停めた。二人車からおりると、八弥子は手を空に向けて広げ、思いっきり空気を吸った。そして向日葵の傍に行きうっとりと眺めていた。 「写真撮る?」 僕は、何か気を利かせなければと思いスマホを取り出してカメラのレンズを八弥子に向けた。 シャッターを一、二度切ると八弥子は僕の所にやって来て 「一緒に写ろうよ。」 と耳打ちした。僕の反応を待たずに僕の腕をとり向日葵畑で僕と隣り合ってカメラのレンズを向けた。 パシャ。 そして、スマホをおろすと僕にさらに近づき、肩が触れ、そして頬と頬が近づきそして八弥子の唇が僕の唇へと近づいてきた。唇が、触れそうになるすんでの所で僕はそっと身体を除けた。 「?えっ?!」 八弥子は悲鳴にも似た叫びをあげた。そして何とも言えない少し困った顔をした僕の表情をとらえると、下を向き逃げるように助手席に乗り込んだ。 それから車の中は地獄だった。八弥子は下を向き今にも泣きだしそうな顔で唇をきゅーっと結んでいた。さらに僕が言った 「家まで送るよ。」 という言葉が気に障ったようで、八弥子の目に涙が浮かび両目から涙の筋が流れた。 (ここは、唇をさけては行けなかったんだ、やっぱり。) 僕は悩んだが、他の選択肢を僕は知らない。(お互いの純粋な気持ちを大事にしたかった。)と思い直しても今の状況で言い訳にしかならないようで言えない。(いや、何か言わないと。) 「ごめん、そんなつもりじゃ…。」 「いいよ!もういいよ…。」 八弥子は僕の話を最後まで聞かずに遮った。車は乾いた音を立て住宅街の手前の交差点に差し掛かった。 信号待ちの時に、滑るように八弥子は助手席から出て行き、そして住宅街へ消えていった。 「女心をきちんとわかってあげられない。」 電話先で今日の報告を待っていた和也に僕は言うと、和也は言った。 「性別関係なく男心だってわかんないんじゃない?」 僕はその返答にぎょっとした。 「いや、僕は怒ってないよ。 例え唯生(ゆいき)が女だったとしてもきっと男心をつかめないってことだよ。」 僕は今日の衝撃と和也の言葉のダブルパンチで頭がぼーっとし、僕は和也にも何か悪いことをしたのか、八弥子のことと、和也のことと両方を考え込み始めた。 「今、僕のことを考えてなかった?違うって。友達としては満点だよ、頼りになるし一緒に居て楽しいし。 そうじゃなくって、えっと、お前といると恋心が浮かばれないっていうのかな。」 「え?だって僕はまずは人として心…つまり身体を大事にしようと思って。」 「何、身体って?つまり性欲を先回りさせないようにしようってこと?」 電話越しで和也が眉間に皺を寄せている様子が想像できた。 「そうだよ。ただの性欲、以上に、相手…つまり八弥子のことを大事にしてると…。」 「避けるのが?性欲っていう部類の感情じゃなくったって今、自分の心に触れてほしいっていう気持ちをわかってあげなきゃだめだったんだよ。」 僕はスマホを耳からはずし空を見上げた。まだ家の車庫にいて外だった。果てのない空は高く、日が落ち始めて暗くなってきていた。
あの日、電話を切った後、僕は身体の力が抜ける感覚がした。 考えてみればこんなことの繰り返し。 学校生活では、会話ははずんでも友達以上の進展はなかなかなくて、というか講義に課題に忙しくて僕の方は余裕がなかった。大学在学中、休みの時は、短期のバイトをしていてそのせいもあって暇じゃなかったし。 (そこでも、一緒に仕事をして仲良くなった子もいたっけかな。)ふと思い浮かぶのは印象的な笑顔。それも、数回二人でお出かけしただけで終わってしまった。 「唯生さん楽しい?私と居て。」 バイトの女の子は言った。 「え?」 「唯生さんって何考えてるんだかわかんないんだよね。」 僕は答えを考えあぐねていた。一緒の時間を共有できる関係に心が何となく満たされていたから、なんだろう、僕はショックを受けた。 (これじゃだめなんだ。もっと何かもてなさないと…。) そしてそれっきり、連絡も来なくなった。 恋は、まだしてなかった、恋する手前で、手前を時間かけ過ぎて相手の機嫌を損ねていた。 (オンラインゲームで仲良くなった彼女も僕のこと、つまんない奴だと、そんな感じで縁が切れたし、考えてみたら男友達も学校を卒業してそんなに残っていない。和也くらいだ。) 『…心に触れてほしいっていう気持ちをわかってあげなきゃだめだったんだよ。』 和也の言葉は、また脳内でこだました。あれからもう2年も経っているのに。当時のまま瞬間冷凍されて保存されているが如く、今という時さえ僕に絡みついて離れない。 (恋愛、真剣に考えているんだよ、だけどすぐに身体と身体が触れ合う…、もっと心の深い所まで分かち合うとか、早い気がするんだよ。) 社員旅行を終えた次の日、会社に出勤した。仕事は製造業の生産管理をしていた。僕の仕事は、経営陣が立てた四半期ごとの生産計画を達成するように月毎ごとの生産数を計算する。在庫状況や出荷数を記録し、それと照らし合わせて決める。そして上司に生産計画書を提出し承認を得る。だけど、常に計画通りではなく、時よっては生産数を増減させ調節する。 今日は、上司から来月の生産の増産を告げられた。僕はそれを製造現場に伝達しに行った。現場に伝えると、現場からは、人手不足であるとか、設備が古くて使い辛くメンテナンスにも時間がかかるから設備投資して欲しいとか言われた。そして増産は無理だと散々にクレームを受けた。以前から、増産の時にはたびたび現場から苦情を言われてきたが、全然改善せず現場は苛立っていた。僕はその次第を上司に説明したが、上司は上司で現状の人員と設備で増産するようにきつく言った。 「もう以前から人員不足や設備に関しては言われてきたんです。それでも現場は我慢して生産を続けてきました。でも、もう限界だと思います。」 僕が、いつもよりも語気を強めに言った。しかし上司は、 「上の命令が聞けないのか?」 と引かない。 「現場では、このような環境で生産をしていて不満を持って退職した人も何人もいます。また同じように対応すれば辞めてしまう人が続出し増産どころじゃなくなります。どうか今一度、人員の増加や設備投資について考えていただけませんか?」 僕も重ねて訴えた。 「お前はもういいよ。私が直に現場に説明してくる。」 「え?」 「去来川は今日は帰っていいよ。帰って頭を休めて冷やしてきなさい。」 僕は、うつむきうなずいた。 「すみません、でも…。」 「いいから、今日は帰りなさい。」 僕はこれ以上食い下がるのは無理だと分かりしぶしぶ承諾した。 「すみません。宜しくお願い致します。」 僕の帰宅する足は重かった。今は午後16時過ぎ。 神経はピリピリして落ち着かないし少し早いからお腹もすかない。 家にも帰りたくなくて、広い公園の駐車場に車を停めた。そして公園と反対側へ歩いて行き、柵をすり抜け人影隠れた貯水池へ向かった。貯水池の周りには木々や草木が生え、地面はくしゃりくしゃりと落ち葉がまばらに重なり合い、ちょうど木々は黄色や赤に紅葉し始めていて秋の始まりを感じた。僕は、人の気配などないひとりぼっちの空気をゆっくり吸い込んだ。そしてぼんやりと葉の赤や黄色を眺める。その色とりどりがぼやっと滲み始めて、胸の奥からじんわり胸の痛みを感じた。葉の色と色は祭りの夜の提灯のように明るく、そこから過ぎ去った記憶…人と人の波を思い出した。すんでのところでいつも僕の声は濁って届かない、そんな昔のことさえ蘇って黄昏を感じた。涙の雫のせいか、涙に、少し俯くと、暗くなり始めた夕空のわずかな光が反射してオーロラのような柔らかな色に滲んだ。 (ん?パステルカラー?オーロラ色?) 顔をあげると大きな漆黒の瞳がこちらを見つめ…いや僕の身体が衝突し… 「あっあ!」 しかし、前にはつっかえるものもなく?女の子の身体をすり抜け、前のめりになり地面に手をついた。 「え?ぇ?!すり抜けた?!」 僕は、起き上がって振り向いた。 するとそこには半透明の女の子が立っていた。更に不思議なことに、背中からは先ほどのオーロラ色のこちらも透き通った蝶のような柔そうな羽が生えていた。