運命の番アルファの隠し子――私を打ち砕く拒絶
第1章

私は、失われたはずの聖なる白狼の血脈を継ぐ者。 一族の未来のルナとなる運命だった。 私の番、アルファである戒は、魂の片割れのはずだった。 ―――あの日、彼の五年越しの秘密を知るまでは。 彼には、もう一つの家族がいたのだ。 そして、その息子の誕生日は、私の誕生日と全く同じ日だった。 ギャラリーの窓越しに、私は見た。 彼が別の女にキスをし、その子にかつて私がずっとおねだりしていた遊園地を約束するのを。 私の両親までもが、その共犯者だった。 一族の資金を横領し、彼らの二重生活を支えていたのだ。 あろうことか、私の誕生日に薬を盛って眠らせ、彼らだけの祝賀会をやり過ごす計画まで立てていた。 彼らにとって、私は娘でもなければ、番でもなかった。 ただ、正しい血を引いただけの「仮の器」。 真の後継者を産むための道具であり、用が済めば捨てられる存在。 だから、十八歳の誕生日を迎えた朝。 私は母が差し出した毒入りのお茶を飲み干し、倒れるふりをして、永遠に姿を消した。 もちろん、彼らの息子の誕生日パーティーに、特別な届け物を手配してから。 彼らの秘密を、一つ残らず詰め込んだ箱を。 第1章 瑠奈(ルナ)視点: 「戒は、あなたを利用してる」 朱音(あかね)の声は低く、胸の奥で唸るような響きがあった。 彼女は、顔にかかった燃えるような赤い髪をかき上げ、戦士のような鋭い灰色の瞳で私を射抜いた。 私たちは、二つの一族の縄張りの境界線にひっそりと佇む小さなコーヒーショップ「月詠珈琲」にいた。 ここは中立地帯で、人狼である私たちを檻の中の動物のように扱わずに受け入れてくれる数少ない場所の一つだ。 焙煎されたコーヒー豆と、雨に濡れた土の匂いが混じり合い、心を落ち着かせてくれる。 「そんなことない」 私の声は、自分でも情けないほど弱々しかった。 温かいマグカップを両手で包み込む。 「あなたは、戒のことを知らないから」 「私が見たものを信じるだけ」 彼女は譲らなかった。 「五年前、セラがあなたに一族の秘密を漏洩したって濡れ衣を着せた。追放されてもおかしくない、最悪の事態だったのに。で、彼女はどうなった?形ばかりの罰を受けて、あとは全額支給の『静養』とやらで、どこかの豪華な別荘に送られただけ」 私はびくりと体を震わせた。 その記憶は鈍い痛みとなって、決して消えることのない魂の痣のように残っている。 「両親が…戒が…それが最善だって言ったの。一族をスキャンダルから守るためにって」 私の両親。 銀月一族の元アルファと元ルナ。 何年も前、彼らは人間の世界で孤児として育ち、自らの血統も知らなかった私を見つけ出した。 そして告げたのだ。 お前は、我々の失われた娘であり、聖なる白狼の血脈を継ぐ者だと。 そして戒は…彼は私の番。 私たちの一族のアルファ。 月の女神が定めた魂の片割れ。 私たちの間の絆は神聖な贈り物であり、いつか私の心臓に銀色の軌跡を描き、その証が手に刻まれるはずだった。 私は、世界で一番幸運な狼のはずだった。 「来週は私の十八歳の誕生日なの、朱音」 私は胸に希望の光を灯しながら、話題を変えた。 「初めての変身の日よ」 彼女の唇に、心からの笑みが浮かんだ。 「知ってる。あなたの狼に会うのが待ちきれない。きっと、壮麗な姿だと思うわ」 「だといいな」 私は身を乗り出し、囁き声になった。 誰にも聞かれたくなかった。 代わりに、一族の仲間だけが共有する特別な繋がり――思念会話(マインドリンク)で彼女に語りかけた。 月の女神からの贈り物である、無言の、プライベートな思考の回線だ。 『戒にね、シーパラダイスに行きたいって言ったの』 私の言葉が、彼女自身の思考であるかのように、彼女の心に直接届く。 『完璧なサプライズになるかもって、ちょっと匂わせちゃった』 朱音の精神的な声には、疑念が滲んでいた。 『それで、偉大なるアルファ様は何て?』 私が答える前に、別の声が私の心を洪水のように満たした。 深く、力強く、私の骨の髄まで震わせるような権威に満ちた声。 戒だ。 『瑠奈』 心臓が跳ね上がった。 彼が、私のことを考えてくれている。 『戒!ちょうどあなたの話をしてたの』 彼の存在を心に感じるだけで、温かいものが体中に広がっていく。 返事は、短く、苛立たしげだった。 『重要な一族の会議がある。家にいろ。問題を起こすな』 言葉は単純だったが、その下にはアルファ・コマンド――絶対服従命令の、抗いがたい重圧が込められていた。 それは、お願いなんかじゃなかった。 魔力を帯びた、絶対的な命令。 彼を喜ばせたい、良い番でありたいという衝動が、私を支配する。 私の肩が、意思とは無関係にがっくりと落ちた。 『あ…わかった』 隠しきれない落胆を悟られないように、私は返信した。 朱音は私の気分の変化を感じ取ったのだろう。 テーブル越しに手を伸ばし、私の手をぎゅっと握った。 「そんな言いなりにならないで。彼のところに行きなさいよ。彼の大好きなコーヒーを持って。黒崎グループのタワービルでサプライズして、あなたが何を望んでいるか、直接、顔を見て言いなさい」 彼女の勇気が、私に伝染した。 そうだ。私は彼の番で、未来のルナなのだ。 私の願いには、価値があるはずだ。 一時間後、私は黒崎グループの超高層ビルの、光り輝くロビーを歩いていた。 手にはコーヒーが二つ入ったボール紙のトレーを持っている。 このビルは私たち一族の人間社会における顔であり、私たちの正体を巧妙に隠す、数十億ドル規模の巨大企業だ。 戒の人間である秘書、倉田という地味な女性が、丁寧だが堅い笑顔を私に向けた。 「申し訳ありません、瑠奈様。黒崎様は現在、席を外しております。西地区のプライベート・アートギャラリーでご予定が。『ギャラリー・アルテミス』という場所です」 不安の塊が、胃の中で固く結ばれていく。 プライベートギャラリー? 一族の会議とは思えない。 私は彼女が教えてくれた住所へ車を走らせた。 ハンドルを握る手が、じっとりと汗ばんでいる。 ギャラリーは、巨大なガラス窓を持つ、洗練されたモダンな建物だった。 通りの向かいに車を停めると、心臓が肋骨を狂ったように叩いていた。 そして、私は彼らを見た。 窓越しに、昼間のようにくっきりと、私の番が、私のアルファが立っていた。 戒。 彼は一人ではなかった。 隣には、ギャラリーの照明を浴びて黒髪が艶めくセラがいた。 そして二人の間には、戒の黒髪とセラの青い瞳を受け継いだ小さな男の子が、両方の手を握られて立っていた。 五歳くらいだろうか。 まるで、本当の家族のように見えた。 息が止まった。 全身の血の気が引いていく。 何かの間違いだ。 そうでなければ。 その時、戒がかがみ込んだ。 彼はセラの顔を両手で包み込み、ここ何年も私には見せたことのない優しさに満ちた表情を浮かべた。 そして、彼女にキスをした。 軽いキスじゃない。 今朝、彼が私たちのベッドを出る前に私にしたのと同じ、深く、長いキス。 魂そのものが真っ二つに引き裂かれるような、鋭く、絶対的な激痛が走った。 私たちの間の神聖な繋がりである、番の絆が、苦痛に絶叫した。 私は車からよろめき出た。 知りたいという、病的な欲求に引き寄せられて。 私は窓に忍び寄り、戸口の影に身を隠した。 分厚いガラス越しに、彼らの声が聞こえてきた。 「――レオの誕生日のために、遊園地を丸ごと貸し切り?」 セラの声は、満足感に満ちていた。 「最高よ、戒」 レオの誕生日。 遊園地。 「息子のことなら何でもするさ」 戒はそう答え、男の子の髪をくしゃくしゃと撫でた。 「あいつには、その価値がある」 私の血が、氷に変わった。 レオの誕生日は、私の誕生日と同じ日だ。 セラが、残酷な鈴の音のような声で笑った。 「あなたの拾ってきたあの子はいいの?がっかりするんじゃない?」 戒の含み笑いは、私が今まで聞いたどんな音よりも残酷な響きだった。 「瑠奈か?あいつは家族ができたことに感謝しきってるからな。俺たちが何を言っても信じるさ」 まさにその時、彼の声が私の心に滑り込んできた。 何気ない、親密な侵入。 戒からの思念会話。 『会議が終わったところだ。疲れた。お前のことを考えてるよ、俺の番』 その嘘は、あまりにもあからさまで、あまりにも無造作な残酷さで届けられた。 私の心は、壊れたのではない。 粉々に砕け散った。 そして、その代わりに、何か冷たくて硬いものが形作られ始めた。 ゲームは終わった。 そして私は、もう駒でいるのはごめんだ。

第2章

瑠奈(ルナ)視点: その夜、アルファの邸宅は、家というより美しく装飾された牢獄のように感じられた。 空気は、嘘で重く淀んでいた。 戒が玄関をくぐった時、彼の全身からセラの匂いがした。 香水じゃない。 彼女特有の狼の匂い――蜜とトリカブトが混じったような、甘ったるくまとわりつく匂いが、私の胃をむかつかせた。 それは親密な匂い。 長く、密接に触れ合わなければ移らない匂い。 私の番についた、他の雌の印。 私の内なる狼、まだほとんど知らない私の一部が、唸り声をあげて身を引いた。 「おかえり」 彼は、磨かれた石のように滑らかな声で言った。 そして、私を腕に抱こうと動いた。 私は一歩、後ずさった。 選択ではなかった。 反射だった。 私の体、私の魂そのものが、彼の接触を拒絶した。 かつて彼の存在を渇望した番の絆が、今や彼を毒の源と見なしていた。 戒の笑顔が揺らいだ。 彼は私の瞳に拒絶の色を見た。 「まだ遊園地のことで拗ねてるのか?子供っぽいぞ、瑠奈。お前が欲しがってたダイヤモンドのネックレスを買ってやる。街で一番高いやつを」 彼は、許しが金で買えると思っている。 私が、そんなに浅はかで、単純だと思っている。 私は、か弱く、小さな笑みを無理やり作った。 「ただ疲れてるだけ。長い一日だったから」 私は彼が期待する役を演じた。 従順で、少し不機嫌な番の役を。 彼はそれを信じた。 いつものように。 後になって、彼が隣で深く、規則正しい寝息を立てている間に、私はベッドからそっと抜け出した。 月明かりが窓から差し込み、彼の書斎へと続く道を照らしていた。 邸宅全体で唯一、常に鍵がかけられている扉。 鍵ではなく、純銀製の重厚で華美な錠で。 銀。 私たち人狼を焼き、力と治癒を妨げる唯一の物質。 この扉の向こうにあるものは何であれ、彼は他の人狼から隠しているのだ。 私は錠の隣にあるキーパッドの前に立ち、心臓を激しく打ち鳴らした。 震える息を吸い込み、数字を打ち込む。 私の誕生日。 私が初めての変身を迎えるはずの日。 彼の息子の誕生日と同じ日。 0-8-2-1。 静かな廊下に、カチリという小さな音が響いた。 銀の錠が、後退した。 扉が、開いた。 書斎は暗く、古い本と彼の匂い――杉と冬の霜の匂いがした。 明かりはつけなかった。 その必要はなかった。 私の人狼としての視力は、暗闇を切り裂いた。 私はまっすぐ彼の机に向かった。 一番下の引き出し、財務報告書の束の下に、革張りの写真アルバムがあった。 震える手で、それを開く。 最初の写真は、戒と妊娠中のセラだった。 二人とも、幸福に輝いている。 次は、戒が生まれたばかりの赤ん坊を抱いている写真。 ページをめくるごとに、私が全く知らなかった人生が記録されていた。 誕生日パーティー、家族旅行、クリスマスの朝。 そして、私はそれを見つけた。 息が止まるような写真を。 それは、家族の肖像画だった。 戒、セラ、そして小さなレオ。 その隣に立って微笑んでいるのは、私の両親だった。 元アルファの宗佑と元ルナのエレナ。 母は、セラの肩に腕を回していた。 彼らは知っていた。 全員が、知っていたのだ。 最初から、この嘘の一部だったのだ。 私の悲しみは、氷のように冷たい怒りへと変わった。 私は彼のノートパソコンに向かった。 もちろん、パスワードで保護されている。 絶望的な勘で、私は同じ数字を打ち込んだ。 私の誕生日。 アクセスが許可された。 私は全てを見つけた。 「レオ」と名付けられたフォルダには、彼の出生証明書、初めて歩いた時のホームビデオ、初めて話した言葉が収められていた。 「財務」と名付けられた別のフォルダは、陰謀の全貌を白日の下に晒した。 過去五年間、私の両親は一族の公的口座から数百万ドルもの資金を吸い上げていた。 その金は、ペーパーカンパニーに送金されていた。 会社の名前は、ギャラリー・アルテミス。 彼らは一族の資金を使い、私の番と、彼のもう一つの家族の、秘密の生活を賄っていたのだ。 私の、代わりのために。 私の手は、まるでそれ自身の命を持っているかのように動いた。 彼の机の引き出しからフラッシュドライブを見つけ、全てをコピーし始めた。 全てのファイル、全ての写真、全ての取引記録。 私は、父が誇りに思いながらも、本当の娘には決して教えようとしなかった古代人狼のルーン文字で、ドライブを暗号化した。 私は、独学でそれを習得していた。 最後のファイルがコピーし終わった時、鋭く、悪意に満ちた思考が私の心を貫いた。 それは私自身の思考ではなかった。 投影された、侵害だった。 セラが、戒の私への繋がりを使い、私の頭にイメージを送り込んできたのだ。 それは、私の両親が写っている家族の肖像画だった。 そして、セラの声が聞こえてきた。 毒と勝利に満ちた声。 『仲間外れにされて寂しいって聞いたから。自分の立場を思い出させてあげるわ、出来損ないのオメガちゃん。あなたは、都合のいい代用品。血筋だけが取り柄の、ただの繋ぎよ』 オメガ。 最下級の階級。 弱く、従順で、価値のない者に使われる言葉。 それが、最後の一押しだった。 悲しみは消えた。 傷心も消えた。 残ったのは、燃え盛る、全てを焼き尽くす炎だけだった。 彼らは私を繋ぎの道具にしたかった? いいだろう。 白狼を檻に入れようとするとどうなるか、思い知らせてやる。

第3章

瑠奈(ルナ)視点: 翌朝、私は自分が何をすべきか分かっていた。 もっと多くのものが必要だった。 もっと多くの証拠。 もっと多くの情報。 彼らが私のために築いた檻を、この目で見なければならなかった。 ギャラリー・アルテミスに、忍び込む必要があった。 自分自身として行くのは不可能だ。 だから、私は別人になった。 使い捨ての携帯電話でギャラリーの人材派遣会社に電話をかけ、「希美(のぞみ)」という偽の身元を作り上げた。 仕事に必死な、ただの人間。 朱音が手伝ってくれた追跡不可能な口座から送金したわずかな現金で、私はその日の臨時清掃員として雇われることが保証された。 家を出る前に、庭からミントとローズマリーをひとつかみ摘み、その香りの良い油を肌と服にこすりつけた。 強いハーブの香りは、人狼なら誰でも識別できる白狼特有の私の匂いを隠してくれるだろう。 私は、人間のように匂うはずだ。 ビーニー帽を深くかぶり、使い捨てのマスクをつけた。 鏡を見ると、見知らぬ人がいた。 失われた世継ぎの瑠奈ではない。 未来のルナでもない。 ただの、怯えた目をした少女、希美。 恐怖は私を幽霊にした。 怒りは私を戦略家にした。 清掃員としてギャラリーに足を踏み入れるのは、非現実的な体験だった。 その場所は、私の一族の金で建てられた、彼らの裏切りの記念碑だった。 私は二階の清掃を割り当てられた。 そこには、プライベートオフィスも含まれていた。 セラのオフィスだ。 彼女の部屋のドアは開いていた。 部屋は豪華で、クリーム色と金色で装飾されていた。 そして彼女の机の上、銀色のフレームの中に、彼女と戒の写真が飾られていた。 彼らは、真のアルファとルナのように、フォーマルなポーズをとっていた。 彼らの絆を世界に宣言するための「カップル写真」。 これは単なる不倫ではなかった。 これは、影の政府であり、一族の長老たち――私自身の両親――によって認められた秘密の家族だった。 私は素早く働いた。 心が駆け巡る間、手は自動操縦で動いていた。 従業員の休憩室で、私はチャンスを見つけた。 私より少し年上の若い狼が、カウンターを拭いていた。 彼女の匂いはかすかで、その姿勢は従順だった。 オメガだ。 彼女の名札には「アンナ」と書かれていた。 「忙しい日ね」 私は、慎重に中立的な、人間の声で言った。 彼女は驚いて飛び上がった。 「あ!はい。最近、長老の方々がよくいらっしゃるんです」 「長老?」 私はゴミ箱を空にしながら、無知を装って尋ねた。 「ええ、元アルファの宗佑様はほとんど毎日ここにいらっしゃいます」 彼女は、共謀者のように身を乗り出して囁いた。 「ギャラリーの業務を自ら監督されていて。一族の評議会より、ここにいる時間の方が長いんじゃないかしら」 私の血が冷たくなった。 私の父。 「それに、元ルナのエレナ様は」 アンナは目を丸くして続けた。 「他の群れから、重要なアルファやルナの方々をいつもここにお連れになるんです。そしていつも、セラ様を『私がずっと欲しかった娘』として紹介なさるんですよ」 一つ一つの言葉が、物理的な打撃だった。 私がずっと欲しかった娘。 では、私は何だ? 押し付けられた娘? その時、玄関のベルが鳴った。 私ははっと顔を上げた。 戒が、レオの手を引いて入ってきた。 セーラが彼の反対側にいて、満面の笑みを浮かべている。 私はすぐに背を向け、スプレーボトルと雑巾を掴み、ディスプレイケースの掃除に夢中になっているふりをした。 心臓が、肋骨に対して狂ったようにドラムを叩いていた。 「――いつになったら、あの子を追い出せるの?」 セラの声は、鋭い泣き言だった。 「あなたを共有するのに疲れたわ、戒。影で生きるのにも、もううんざり」 戒の返事は、焦れた、厳しいものだった。 「理由は分かっているだろう、セラ。我々が持つ全て、このギャラリー、レオの未来、全ては彼女にかかっている。白狼の世継ぎとしての彼女の地位に。彼女が完全に俺と結ばれ、彼女自身が世継ぎを産んだら、その時に対処できる。それまでは、辛抱しろ」 彼は私を利用していた。 私の血統のために。 世継ぎのために。 その認識は、息が詰まるようだった。 ここから出なければ。 私は出口に向かって動き始めた。 うつむいたまま。 もうすぐドアだった。 「お前」 声は低く、力に満ちていた。 アルファの声。 戒の声。 私は凍りついた。 背中はまだ彼に向けたまま。 「お前の匂いは知らないな」 彼は唸った。 「新入りか」 全身が緊張した。 彼はアルファだ。 彼の感覚は、普通の狼の千倍も鋭い。 ハーブは…十分だっただろうか? 私は顔を隠したまま、小さく頷いた。 「振り向け」 彼は命じた。 私はその場に留まった。 足が床に張り付いたように感じた。 彼の声が低くなった。 今や、紛れもない、抗いがたいアルファ・コマンドの力が込められていた。 それは空気を震わせ、私の筋肉、神経、意志を掌握した。 「振り向けと言った。そしてそのマスクを外せ。今すぐだ!」

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