彼は、私たちの生まれるはずだった仔犬を差し置いて、秘密の息子を選んだ
第1章

IT企業のCEO、エミリオとの5年間の結婚生活は完璧だと思っていた。私は彼の成功を支えるため、輝かしいキャリアを中断し、私たちの美しい人生を築き上げてきた。 しかし、その幻想は、彼が受信した一通のメールで粉々に砕け散った。それは、彼の息子の洗礼式への招待状。母親は、私が存在すら知らなかったソーシャルメディアのインフルエンサーだった。 不倫が公になったのは、私のために開かれた祝賀パーティーでのこと。幼い少年がエミリオに駆け寄り、「パパ」と呼び、私が彼を奪おうとしていると叫んだ。息子を守るため、エミリオは私を突き飛ばした。私は転倒して頭を打ち、病院のベッドで目覚めたとき、妊娠していた子供を流産したと告げられた。 彼は一度も来なかった。彼は血を流す私を床に残し、息子と愛人を慰めるために去っていった。私と、私たちの結婚、そして失われた子供を、一顧だにすることなく。 数日後、彼の愛人が差し向けた男たちが、私を崖から荒れ狂う海へと突き落とした。でも、私は生き延びた。世界には私が死んだと思わせたまま、チューリッヒで名誉ある建築フェローシップを受け入れた。エレナ・トーマスは死んだ。そうして初めて、私は生きることができるのだから。 第1章 セレーネ視点: 朝の光が、麗のペントハウスの床から天井まである窓を切り裂くように差し込んでいた。 イタリア産大理石の床に、金色の縞模様が描かれていく。 私はコーヒーメーカーから滴り落ちる雫を眺めていた。濃厚で深い豆の香りは、ここを我が家と呼ぶようになったこの5年間で、すっかり馴染み深い安らぎとなっていた。 黒月群のアルファであり、人間の世界では冷酷な億万長者として知られる黒崎麗の「運命の番」として過ごした5年間。完璧な人生だと思っていた5年間。 湯気の立つマグカップを、彼の書斎へ運ぶ。私の足音は、練習を重ねたかのように静かだ。 彼はすでにデスクに向かっていた。タブレットを睨むその広い肩は、緊張でこわばっている。 吹雪の後の杉の木に、ほのかな野生のベリーが混じったような彼の香り。その香りは部屋中に満ちていて、かつては私の内なる狼を満足げに唸らせたものだった。 今では、ただ胃がギリギリと締め付けられるだけ。 「麗?」 私はそっと声をかけ、コーヒーを彼の手の横に置いた。 彼は顔も上げず、ただぶっきらぼうに礼を言った。 私が背を向けようとしたその時、彼の画面に通知がポップアップした。 メールだった。プレビュー画面は、私にも読めるくらいの大きさだった。 差出人:白川群、綾辻華蓮 件名:ご招待:黒崎陸の初変身の祝福の儀 その名前に、ハンマーで殴られたような衝撃を受けた。 黒崎陸。私の番と同じ苗字。 意味を理解する前に、通知は現れたのと同じ速さで消え去った。 でも、もう遅い。その名前は、私の心に焼き付いてしまった。 毒々しい疑念の種が、胃の底で芽吹き始める。 ふらつく足でキッチンに戻った。 黒崎陸って誰?綾辻華蓮って誰? 私の内なる狼が、落ち着きなく歩き回る。 *何かがおかしい。彼を見つけて。* 私は目を閉じ、念話――群れのメンバー全員を繋ぐ、目に見えないテレパシーの繋がり――に意識を集中させた。 それは神聖な絆。特にアルファとその未来のルナの間では。 コミュニケーションのため、感情を分かち合うため、緊急事態のため。 彼をスパイするために使ったことなんて、一度もなかった。 今までは。 彼の精神的な特徴――いつも我が家のように感じられた、強力でパチパチと音を立てるエネルギー――に焦点を合わせる。 企業の合併や群れの見回りといった表面的な思考を押し分け、彼の居場所を探った。 彼は都心にはいなかった。群れの縄張りにいる。 古い月の女神の神殿に。 心臓が肋骨を突き破るほど激しく鼓動した。 彼は今日一日、都心で会議だと言っていたのに。 考える間もなく、私は鍵を掴んで部屋を飛び出した。 神殿までの道のりは、記憶が曖昧だ。 到着すると、私は車を古代の樫の木の茂みの後ろに停め、徒歩で近づいた。五感が最大限に研ぎ澄まされる。 彼らの姿を見る前に、楽しそうな子供のはしゃぐ声が聞こえた。 そこに、麗がいた。神殿の崩れかけたアーチから差し込む木漏れ日の中で。 彼は小さな男の子を抱き上げていた。2歳くらいだろうか。麗と同じ漆黒の髪と、鋭い灰色の瞳をしている。 私の番の顔には、今まで見たことのない表情が浮かんでいた。 むき出しの、無防備な誇りと、圧倒的な愛。 その時、柱の陰から一人の女性が現れた。綾辻華蓮。 銀色がかったブロンドの髪と、捕食者のような優雅さを持つ、美しい女だった。 彼女は麗に寄りかかり、所有欲を隠さずに彼に腕を絡ませる。 「パパ」 陸、と呼ばれたその子がさえずった。その甘く高い声が、私の世界を百万の破片に砕いた。 三人は、完璧な家族のように見えた。本物の家族。 二週間前の会話が、脳裏に蘇る。 私が希望に満ちた声で、子狼を授かることを提案した時のこと。 麗は優しく私を制した。群れが不安定すぎる、自分の責務が重すぎると。 「今はまだだ、愛しい人」と彼は言った。 その皮肉が、舌の上で苦い毒となる。 私たちが初めて会った日のことを思い出す。 私は古代の忘れられた血筋から続く、小さな群れの出身の、駆け出しの建築家だった。 祖母はよく、私たちの祖先と月との特別な絆について話してくれたけれど、私はいつもおとぎ話だと聞き流していた。 でも、麗が部屋に入ってきた瞬間、何か原始的なものが私の中で目覚めた。 世界が、その軸を傾けた。 最初に感じたのは彼の香り。あの、心を酔わせる吹雪の後の杉とベリーの混じった香りが、私の血を歌わせた。 心臓は狂ったようなリズムを刻み始め、奇妙な安らぎが私を包んだ。まるで、今まで気づかなかった魂の一部が、ようやくカチリとはまったかのように。 そして、私の内なる狼が叫んだ。たった一言、所有欲に満ちた言葉が、頭蓋骨に響き渡った。 *私のもの!* 彼も感じていた。 彼は部屋を横切り、私から目を離さず、私の手を取った。 彼の肌が触れた瞬間、純粋な電気が腕を駆け上った。 あの日、彼は私に誓ったのだ。君は僕の唯一無二の存在、月の女神からの贈り物だと。 嘘。すべてが嘘だった。 その時、彼の声が頭の中に響いた。念話による、許しがたい侵害。 *シオリ、愛しい人?大丈夫かい?* 私は影の中に隠れたまま、嗚咽を抑えるために口を手で覆った。 *大丈夫よ*、と私は震える精神の声で返した。*あなたのことを考えていただけ。* *長老たちとの会議が長引いていてね*、と彼は嘘をついた。*まだかかりそうだ。* しかし、彼の念話の背景で、私には聞こえた。 微かな子供の泣き声。そして、その子をなだめる華蓮の声。 そして、はっきりと、陸が泣き叫んだ。 「パパ!」 麗の精神がパニックに揺れる。 *ベータのマコトの子狼だよ*、と彼は慌てて言った。*彼がどこにでも連れてくるのは知っているだろう。もう行かないと。愛しているよ。* 彼はリンクを切った。 彼が男の子に全ての注意を戻し、優しい言葉を囁くのを見ていた。その表情は、献身的な父親そのものだった。 私の心は、ただ壊れただけじゃない。塵になった。 私は携帯電話を取り出した。その指は、純粋な苦痛から生まれた明晰さで動いていた。 何ヶ月も保存していたメールを見つける。 アルプスの、中立で名高い職人と建築家の群れ、霊峰群からのオファー。 6ヶ月間のマスタークラスプログラム。 私は麗のために、私たちのために、それを断った。 返信を打ち込む。 「お受けします」

第2章

セレーネ視点: 霊峰群からの受諾確認は、一時間以内に届いた。 プログラムは二週間後に始まる。場所はスイスアルプスの人里離れた高地にある縄張りで、私を窒息させる嘘の世界とはかけ離れていた。完璧だった。 私はペントハウス、かつて私たちの家と呼んだ場所へと車を走らせた。 今では、すべての物が私を嘲笑っているように見える。 暖炉の上の、ビーチで微笑む私たちの写真。彼の腕が、私の体を強く抱きしめている。 結婚一周年記念に彼がくれた、繊細なムーンストーンのネックレス。月の女神が私たちの結びつきを祝福した証とされる石。 物理的な吐き気が、私を襲った。 シンクの下から、大きな黒いゴミ袋の箱を見つけた。 自分でも知らなかったほどの怒りに任せて、私は浄化を始めた。 まず写真から。ガラスが割れる音が、不気味な満足感をもたらした。 ムーンストーンのネックレスが続く。その銀のチェーンが、ガラスの破片に当たってカチンと音を立てた。 すべての贈り物、すべてのお土産、彼と、そして5年間の嘘に私を縛り付けていたものすべてが、袋の中へと消えていった。 終わった時、アパートは殺風景で空っぽになり、すべての温かみを剥ぎ取られていた。 私は自分のものを詰め始めた。服、建築の本、製図道具。私の人生を。 その夜、麗は帰ってこなかった。 彼がようやく姿を現したのは、翌日の夕方だった。何事もなかったかのように入ってきて、後ろから私を抱きしめ、首筋に顔をうずめた。 「会いたかった」と彼は低い声で囁いた。 でも、私に感じられたのは彼女の匂いだけだった。 華蓮の、むせ返るような香水。毒草と欺瞞のような香りが、彼の肌にまとわりついている。 そしてその下に、微かな、子狼の乳臭い匂い。 私は体をこわばらせ、彼から離れた。 「どうしたんだ?」と彼は、偽りの心配を眉間に浮かべて尋ねた。 私は彼を最後にもう一度試すことにした。 「考えていたの」と私は、声を平静に保ちながら言った。「待つべきだというあなたの考えは正しかったかもしれないけど…でも、私、本当に子狼が欲しいの、麗。私たちの絆を確かなものにするために。私たちを、本当の家族にするために」 彼の表情がこわばった。 「シオリ、その話はもうしただろう。群れは僕の全神経を必要としている。境界にははぐれ狼の脅威がある。それに、白川群との緊張関係は…デリケートなんだ。今はその時じゃない」 また嘘。その時が、私とではないだけ。 まるで合図のように、カウンターに置かれた彼のプライベート用の通信機が鳴った。 彼は画面を一瞥し、素早く裏返した。 「ベータからだ」と彼は、ぶっきらぼうな口調で言った。「緊急報告だ。行かなければ」 彼は私の額にキスをした。冷たく、無意味に感じられる仕草。そして、急いでドアから出て行った。 エレベーターのドアが閉まる音を聞くまで待ってから、私はカウンターに向かった。 彼はよほど急いでいたのか、予備の通信機を置き忘れていた。 震える手で、それを拾い上げる。 画面が、新しいメッセージで光った。華蓮からだった。 「陸が熱を出してる。彼の狼が落ち着かないの。アルファの父親に会いたがってるわ」 鋭い、痙攣するような痛みが腹部を襲った。 私は身をかがめ、息を呑んだ。嘘、ストレス、失恋――そのすべてが、物理的な重荷となって私にのしかかる。 バスルームに駆け込み、吐いた。私の体は、悲しみの力で激しく痙攣していた。 翌日、私はアトリエには行かなかった。 一人で、群れの癒し手の元へ向かった。 彼女は親切で、年配の女性で、私が最初に群れに加わった時から私を知っていた。 いくつかの検査の後、彼女は診察室に戻ってきた。その顔は輝いていた。 「おめでとう、お嬢さん」と彼女は、温かい声で言った。「強くて健康な子狼を身ごもっていますよ」 彼女は私の手を軽く叩いた。 「6週目です。アルファもお喜びになるでしょう。世継ぎがお生まれになります」

第3章

セレーネ視点: 妊娠。癒し手の言葉が、喜びと絶望の残酷な交響曲のように頭の中で響き渡る。 この子狼は私の一部であり、運命の番との絆の産物。 しかし、それは欺瞞の網の中で授かった命だった。 嘘つきの父親と、愚かな母親よりも、もっと良い環境に値する。 医療センターの静かな廊下を歩きながら、私の心は混沌とした嵐のようだった。 ここを去らなければ。今こそ、この子を麗の二重生活の毒から守らなければならない。 角を曲がったところで、私は凍りついた。 20フィートも離れていない場所に、麗がいた。 彼は華蓮を抱きしめていた。彼女は彼の胸で、大げさに泣きじゃくっている。 彼は彼女の髪を撫で、いつも私に使うのと同じ、優しく安心させるような口調で囁いていた。 「大丈夫だ」と彼は言っていた。「心配するな」 私は素早く大きな石柱の陰に隠れた。心臓が、病的な重いリズムを刻んでいる。 「でも、もし彼女が気づいたらどうするの?」と華蓮が泣き叫んだ。その声は、がらんとしたホールにはっきりと響いた。「もし私が、あなたのアルファとしての地位を台無しにしたら?」 麗は低く、見下したような笑い声を漏らした。 「彼女は僕を完全に信頼している。シオリは優秀な建築家だが、群れの政治の複雑さは理解していない。彼女が知ることは絶対にない」 私の血が凍りついた。彼は私のことを、単純で、世間知らずだと思っていたのだ。 「いつ私をあなたのルナにしてくれるの?」と華蓮が迫った。その声は鋭さを増す。「いつ彼女を追い払ってくれるの?」 「彼女を拒絶することはできない」と麗は、きっぱりとした口調で言った。「彼女は月の女神の意志だ。運命の番、特にあれほど…純粋な相手を拒絶することは、他のアルファたちから弱さと見なされる。僕の権威を失墜させかねない。僕には彼女に対する責任がある」 責任。愛でも、献身でもない。天から与えられた雑用。 「だが、君と陸のことは、僕が常に面倒を見る」と彼は約束し、声が再び柔らかくなった。「君は僕に強い世継ぎを与えてくれた、華蓮。そのことは決して忘れない」 彼は彼女の額にキスをし、そして立ち去った。彼の足音が、廊下に響き渡る。 華蓮は一瞬その場に留まり、ゆっくりと、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。 そして、彼女の視線が、私が隠れている柱にまっすぐ向けられた。 彼女は私がそこにいることを知っていた。ずっと前から知っていたのだ。 彼女は一瞬、私の視線を捉えた。その表情は、勝利と純粋な悪意が混じり合っていた。そして、くるりと背を向けて優雅に去っていった。 これで終わり。私がしがみついていた、最後の脆い希望の糸が、ぷつりと切れた。 彼の目には、私は義務でしかなかった。彼女と彼女の息子が、彼の選択だったのだ。 冷たく、硬い決意が私の魂に宿った。 この子を、こんな世界に産み落とすわけにはいかない。 私の子狼を、望まれない二番手、壊れた絆を常に思い出させる存在になど、させてはいけない。 私は二本の電話をかけた。 一本目は、人間の世界のプライベートクリニックへ。決してかけることになるとは思わなかった予約を入れた。 二本目は、私の弁護士へ。公式な番の拒絶と絆の解消に関する書類を作成するよう指示した。 センターの外にある月桂樹の木立に座り、呼吸を整えようとしていると、麗の声が私の心に侵入してきた。 *愛しい人、今聞いたよ!君が設計した群れの家の新しい西棟が、正式に完成したそうだね。素晴らしいよ。君は天才だ。* 私は返事をしなかった。 *昨夜は忙しくてすまなかった*、と彼は続けた。その精神の声は、魅力で溢れていた。*北の境界で深刻なはぐれ狼の問題があってね。もうすべて片付いたよ。* 嘘。すべてが。 *僕が留守にした埋め合わせに、今夜、新しい棟で君を称える盛大な祝賀パーティーを開く。僕の素晴らしい番を祝うために。君はそれに値する。* 私の内側は、氷で彫られたように感じられた。感覚が麻痺していた。 *素敵ね*、と私は返した。その声は、かつての自分のかすかなこだまのようだった。

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