七秒婚の悲劇: 裏切りの誓い
第1章

婚姻期間, 七秒. 市役所の窓口で告げられた事実に, 私は呆然と立ち尽くす. 愛する夫, 黒木大知との誓いは, 一瞬にして紙切れとなった. それだけではない. 彼はその足で, 私の後輩だった千葉心音と入籍していた. 無邪気で才能あふれると信じていた, あの彼女と. 結婚と同時にサインさせられた書類は, 実家の老舗旅館「武山楼」の経営権を彼に譲るための罠だった. 夫と後輩は共謀し, 私の誇りだった繊細な味覚, 家, 家族との絆, そのすべてを奪い去った. さらに, ナッツアレルギーの私を殺害しようとさえしたのだ. かつて「君は僕の光だ」と愛を囁いた唇から放たれた「彩, 君はもう必要ない」という冷酷な言葉が, 私の心を完全に破壊した. すべてを失い, 死の淵をさまよう私を救ったのは, もう一人の幼馴染だった. 彼の故郷の島で心身を癒していた矢先, あの女が島にまで現れ, 罪のない人々を傷つけた時, 私は静かに誓った. ――もう, 泣き寝入りはしない. 私のすべてを奪ったあの二人を, 地獄の底へ叩き落としてやる, と. 第1章 武山彩 POV: 目の前の書類に書かれた文言が, 私の頭の中で何度も反響した. 武山彩, 婚姻期間, 七秒. 私の人生をかけた誓いが, たったの七秒で終わった? 市の窓口の女性は, 機械的に次の情報を告げた. 「お客様, こちらの記録によりますと, 黒木大知様は, その直後, 千葉心音様とご結婚されています. 」 「千葉, 心音... ? 」私の口から出たその名前は, 震えでかろうじて聞き取れる程度だった. 彼女は, 夫の会社の新入社員で, 私があまりにも無邪気で才能に溢れていると信じていた後輩だった. 胸の奥に冷たい氷塊ができたような感覚が, 全身に広がっていく. 私は, ただ, 呆然と立ち尽くしていた. 背後で, 次の順番を待つ人々のざわめきが遠く聞こえる. 私の世界は, 静かに, そして確実に, 音を立てて崩れ去っていた. 黒木大知と私は, 幼馴染だった. 彼は私のヒーローだった. 貧しい家庭に生まれながらも, 一代でITベンチャーを築き上げたカリスマ社長. 私は, 伝統ある老舗旅館「武山楼」の一人娘. 家柄も育ちも全く違う二人だったけれど, 彼の瞳の奥に宿る情熱と, 私を見つめる優しい眼差しに, 私はすべてを捧げた. 「彩, 君は僕の光だ. 君なしの人生なんて考えられない. 」 そう言って, 彼は私にプロポーズした. あの夜の星空は, 今でも鮮明に思い出せる. 彼の言葉一つ一つが, 私の心に深く刻み込まれた. 結婚式の日, 彼は誓った. 「病める時も健やかなる時も, 富める時も貧しき時も, 妻として愛し, 敬い, 慈しむことを誓います. 」私は, 彼の隣で, これほど幸福な瞬間はないと心から信じていた. 純白のウェディングドレスは, 私自身の真っ白な未来を象徴しているようだった. 「愛してる, 彩. 君は僕のすべてだ. 」 彼は私の手を握り, そう囁いた. その言葉に偽りはないと, あの時の私は確信していた. 私たちは, 最高の夫婦になるはずだった. 彼がどんなに忙しくても, 私は彼の秘書として, 妻として, 献身的に支えてきた. 彼の会社の成長は, 私の誇りでもあった. しかし, その幸福な日々に, 暗い影を落とす存在がいた. 千葉心音. 彼女は, 黒木の会社に入社してから, あっという間に彼の信頼を得た. 最初は, 私の可愛い後輩だった. まさか, 彼女が私の夫と共謀し, 私のすべてを奪おうとしているとは, 夢にも思わなかった. 数日前, 父が病に倒れた. その日, 私は夫から, 結婚時にサインした書類が「武山楼」の経営権を彼に譲渡し, 私を経営から追放するための罠だったと聞かされた. 私の誇りだった繊細な味覚は, 極度のストレスで失われた. 家も, 仕事も, 家族との絆も, すべてが奪われたのだ. 私は, あの日の夫の言葉を今でも鮮明に覚えている. 「彩, 君はもう必要ない. 」 その声は, かつて私に愛を囁いた声と, 全く同じだった. 私は, まるで何かに突き動かされるように, スマートフォンの画面をタップした. ニュースサイトのトップには, 黒木大知と千葉心音のツーショット写真が大きく掲載されていた. 二人は腕を組み, 幸せそうに微笑んでいる. 見出しには「IT業界のカリスマカップル, 遂に結婚発表! 」と踊っていた. 私の手から, スマートフォンの光が零れ落ちる. 彼の指輪が, 私の指に冷たく光る. 「彩, 君は本当に僕のすべてだ. 」 あの時の彼の声が, 私の耳元で響いた. その言葉が, 今となっては, あまりにも皮肉に聞こえる. 私の人生は, 一体どこで狂ってしまったのだろう.

第2章

武山彩 POV: 暗闇の中を彷徨い, ようやく意識が浮上した. ここはどこだろう? 見慣れない天井, 嗅ぎ慣れない香木の匂い. 頭がずきずきと痛み, 昨夜の出来事が断片的に蘇る. ワインを煽り, 泣き叫んだこと. 誰かに抱きしめられたような温かい感触. そして, 差し出された一枚の紙切れ. ベッドサイドの小さなテーブルに, 一枚のメモが置いてあった. 『ゆっくり休んでください. 』たったそれだけの言葉に, 私は安堵の息を漏らした. この状況で, 誰かが私を気遣ってくれている. それだけで, 心が少し軽くなった気がした. スマートフォンの電源を入れると, 画面は通知の嵐だった. 黒木からの不在着信が数十件, メッセージも山のように届いていた. すべて無視して, 私は重い体を引きずって立ち上がった. 昨夜の記憶は曖昧だ. どうやってここに来たのかも思い出せない. ただ, あの家から逃げ出したかった, それだけだ. 自宅の玄関の扉を開けると, そこには憔悴しきった黒木が立っていた. 彼の顔には深い隈ができていて, 徹夜で私を探し回っていたことが伺える. 「彩, どこに行っていたんだ! 心配しただろう! 」 彼の声には, まるで心から私を案じているかのような響きがあった. 私が彼の会社の秘書室で働いていた時, 徹夜で仕事をしていても, こんな表情を見せることはなかった. 私の心は, 冷え切っていた. リビングに入ると, 彼の書斎のドアが少し開いていた. ちらりと見えたパソコンの画面には, 私たちの結婚式の写真が壁紙として設定されている. あの時は, 本当に幸せだった. 彼の隣で微笑む私の顔は, 希望に満ち溢れていた. 今の私とは, 全く違う. 黒木の眼差しを真正面から受け止める. そこには, かつての純粋な愛情はもう見当たらない. 彼が今, 私を見つめる瞳の奥には, 不安と後悔, そして何かの計算が見え隠れしていた. 「ごめんなさい. 少し, 冷静になりたかったの. 」私は, 彼の質問に, まるで他人事のように答えた. 感情のない私の声を聞いて, 彼の顔に一瞬, 戸惑いの色が浮かんだ. 「そうか... . とにかく, 無事でよかった. 何か食べないか? 君のために, 朝食を準備させたんだ. 」 彼はそう言って, 私をダイニングテーブルに促した. テーブルには, 温かいオムレツと, 私の好きなエビのサラダが並んでいた. 彼は, 私のためにエビの殻を剥き始めた. 彼の指先が, 器用にエビの殻を剥がしていく. かつて, この優しさに, 私はどれほど救われてきただろうか. 「彩, 体調はどうだ? どこか悪いところはないか? 」彼の声には, やはり心配の色が滲んでいた. 「ええ, 大丈夫よ. 」私は, ごく短い返事をした. 彼は, 私の健康について, 今になって初めて気遣ってくれている. 私が彼を支えていた三年間, 私はストレスで何度も体調を崩し, 倒れる寸前まで働いていた. その度に, 彼は「無理をするな」とは言ったけれど, 具体的に何かをしてくれたことはなかった. 私の体調の変化に気づいたのは, いつも彼ではなく, 家政婦さんだった. 「お食事, 召し上がってくださいね. 彩様のために, 特別なメニューを考案しました. 」家政婦さんの声が, キッチンから聞こえてくる. テーブルに, 小さな弁当箱が置かれた. 温かい湯気が立ち上っている. 黒木は, 私に微笑みかけた. 「さあ, 彩. 温かいうちに食べよう. 」 その時, 彼のスマートフォンが鳴った. 彼は画面をちらりと見て, すぐに私にキスをすると, 「会社に行ってくる」と告げた. 彼は急いで弁当箱を手に取り, 家を飛び出して行った. 彼が出て行った後, 私はゆっくりと台所へ向かった. コンロの上に置かれた鍋の蓋を開けて, 中を覗き込む. そこには, 大量のナッツ類が使われたシチューが残っていた. 私の体は, ナッツアレルギー. 深刻なアナフィラキシーショックを起こす可能性があるため, 黒木は「絶対に口にするな」と厳しく言いつけていたはずだ. なぜ, こんなものが食卓に? 私の脳裏に, かつて黒木が「僕の妻は, ナッツアレルギーだから細心の注意を払ってくれ」と, 料理人に指示を出していた場面が蘇る. 彼の言葉は, 偽りだったのか? 私は, スマートフォンを取り出し, 隠し持っていた監視アプリを起動した. アプリは, 黒木のオフィスに設置された小型カメラの映像をリアルタイムで映し出す. 画面が一度, 途切れた後, すぐに再接続された. 彼のオフィスには, 心音の姿があった. 彼女は, 口元を膨らませて黒木に不満をぶつける. 「もう! いつまで私を隠し続けるの? 彩さんが家にいると, あなたと二人きりになれないじゃない! 」 黒木は, 心音の頬を優しく撫でた. そして, 私のためだと言って剥いてくれたエビを, 彼女の口元に運んだ. 心音は嬉しそうにそれを平らげた. 「もう少しの辛抱だ. 彩には気の毒だが, 僕のビジネスのためだ. 君も理解してくれ. 」 心音は, 満足そうに微笑むと, カメラのレンズを挑発的に見つめた. まるで, 私の存在を知っているかのように. 「彩さんには, もう邪魔させないわ. あなたを独り占めできる日が来るまで, 私は何でもする. 」 心音の言葉に, 黒木は優しく微笑み, 彼女を抱き寄せる. 「ああ, 心音. どうして君に, もっと早く出会えなかったんだろうな... . 」 彼の言葉が, 私の耳に直接届いた. 私の心臓が, まるでガラスのように, 音を立てて砕け散った. 全身から力が抜け, 床に座り込んだ. あの日の誓い, あの時の甘い言葉, すべてが欺瞞だった. 私は, 彼の言葉を信じていた. 彼のすべてを愛していた. 幼い頃, 初めて出会ったあの日のように, いつまでも彼の隣にいられると信じていたのに. 「私が, 私自身が... この男を選んだのね. 」 自嘲的な笑みが, 私の唇から漏れた. 私は, スマートフォンの画面を, 私たちの結婚式の写真に投げつけた. ガラスが粉々に砕け散る音だけが, 静寂な部屋に響き渡った.

第3章

武山彩 POV: 粉々に砕け散ったスマートフォンの画面から, それでも, あのオフィスでの映像は流れ続けていた. 心音の挑発的な笑み. 黒木が彼女の首に手を添え, 囁く姿. 私の心臓は, もう痛みさえ感じなかった. ただ, 鉛のように重く, 冷たい. その時, 画面の中で, 黒木が心音に何かを見せた. それは, 輝くネックレスだった. 私の呼吸が止まる. それは, 私が彼から初めてもらった誕生日プレゼントと, 全く同じものだった. 私は震える手で, 引き出しから自分のネックレスを取り出した. 二つのネックレスは, デザインも, 輝きも, 寸分たがわぬように見えた. 私は急いで, 昔からの友人であり, 宝石鑑定士の資格を持つ美咲に電話をかけた. 「美咲, 今すぐ来てくれる? 見てほしいものがあるの. 」 美咲が駆けつけてくれた. 彼女は, 私の手に握られた二つのネックレスを交互に眺め, 眉をひそめた. 「彩, これは... . 」 彼女の言葉は, 私の予想を裏切らなかった. 「あなたのネックレスは, 本物よ. でも, これ, 心音さんの写真に写ってた方でしょ? これは, 残念だけど, 精巧な模造品だわ. 」 美咲の言葉が, 私の耳の奥で, まるで遠い雷鳴のように響いた. 私のネックレスは本物. でも, 心音のものは偽物. 一体これは, 何を意味するのだろう? 私は, 乾いた笑いを漏らした. 本物と偽物. 私の結婚も, きっとそうだったのだろう. 彼の愛も, 私との関係も, すべてが偽物だったのだ. その夜, 黒木から電話があった. 出張に行くという, いつもの連絡だった. 彼の声は, いつも通り優しかった. 何も知らないふりをして, 私は電話を切った. 受話器を置いた瞬間, 私は自分の感情が完全に麻痺していることに気づいた. 心は, もう何も感じない. 私は, 彼の後を追うことにした. タクシーを拾い, 彼の車を尾行した. 彼の車が向かった先は, 市のはずれにある, 古びた寺だった. その寺は, 私が何度も通った場所だった. 彼は, 心音とともに寺の階段を上っていく. 私は, 木陰に車を停め, 二人の後姿をじっと見つめた. この寺は, 私が彼との子供を授かりたいと願って, 何度も訪れた場所だった. 不妊治療に苦しみ, 心が折れそうになった時, 彼はいつも私をここに連れてきてくれた. 「大丈夫だよ, 彩. 僕たちは, きっと素敵な家族になれる. 」 あの時の彼の優しい言葉と, 私の背中をそっと撫でる温かい手が, 今でも鮮明に思い出される. 私たちは, ここの境内で, 将来を誓い合った. 願いを込めて, 二人の名前が刻まれた同心錠を, 古木の枝に結びつけた. あの同心錠に, 私たちの永遠の愛を願ったはずなのに. 心音が, 古木の枝に結ばれた同心錠を見つけた. 彼女は, それを面白がるように指で弄ぶと, 何の躊躇もなく, 枝から引きちぎった. 「こんな古いもの, いらないわよね. 」 そう言って, 彼女は同心錠を地面に投げ捨てた. そして, 自分のポケットから, 新しい同心錠を取り出すと, まるで私を嘲笑うかのように, 古木の枝に結びつけた. 「彩さんは, もう "元妻" なんだから. 」 彼女の声が, 風に乗って私の耳に届いた. 私は, その言葉に, 全身の血が逆流するような感覚を覚えた. 元妻? 私が? 私の頭の中で, 数日前の市の窓口での出来事が, 鮮明に蘇る. 婚姻期間, わずか七秒. 私は, その七秒の間に, 離婚届にサインをしていたのだ. あの時, 私は父の病気で動揺し, 黒木に言われるがまま, いくつかの書類にサインをした. 彼は, 「武山楼」の経営に関する重要な契約書だと私に説明した. 私は, 彼を信じて, 内容もろくに確認せずに署名したのだ. それが, 私の人生を終わらせるための離婚届だったなんて. 黒木の企みが, すべて繋がった. 彼は, 私と結婚したその日に, 私を離婚させ, 心音と再婚していたのだ. 私が不妊治療に苦しんでいた数年間, 彼は心音と愛を育んでいた. そして, 私が苦しむ姿を見て, 彼は何を思っていたのだろう? 「愛してる」と囁いた彼の言葉が, 耳の中で木霊する. その "愛" は, 私へのものではなく, 心音へのものだったのだ. 私の心は, もう, 痛みを通り越して, 虚無感に支配されていた. 黒木が出張から戻ってくると, 彼は私のために珍しい花を抱えていた. 私は, その花に何の感情も抱かなかった. 「彩, ごめん. 忙しくて連絡できなかった. この花, 君が好きだと言っていたから. 」 彼はそう言って, 私を抱きしめようとした. 私は, 彼の腕をそっと払いのけた. 「心配ないわ. 私も, ゆっくりできたから. 」 私の言葉は, どこか遠い世界から発せられているようだった. 彼の顔に, 一瞬, 困惑の色が浮かんだ. 「僕だって, 君と離れているのは辛かったんだ. でも, 会社のために, 頑張らないと... . 」 彼の言葉は, もう私の心には響かなかった. その夜, 私は心音のSNSを覗いた. そこには, 彼女と黒木が, 私が好きだと言った花の前で, 親密そうに寄り添う写真がアップされていた. 「彼からのサプライズプレゼント. いつもありがとう, ダーリン. 」というコメントが添えられている. 私の心臓は, もう何も感じない. ただ, 冷たい水が流れているだけだった.

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