幽霊は検事の隣で真実待つ
第1章

産業スパイの濡れ衣を着せられ, 婚約者の妹・美奈子に廃墟で監禁された. 薬で麻痺する体を引きずり, 最後の望みをかけてスマートウォッチで婚約者の正人さんに助けを求めた. しかし, 受話器の向こうから聞こえてきたのは, 氷のように冷たい一言だった. 「もう俺を巻き込むな. 勝手にしろ」 その言葉に希望を絶たれた私を, 美奈子は嘲笑いながら炎の中へと突き落とした. どうして信じてくれなかったの? 私が命懸けで火事から救った美奈子の嘘を, どうして…. 次に目覚めた時, 私は魂となり, 自分の「自殺事件」を担当する検事になった正人さんの隣に立っていた. 彼が真実を知り, 後悔に身を焦がす復讐劇を, 特等席で見届けるために. 第1章 桜庭心 POV: 「助けて, 正人さん... 」. 私の唇からかろうじて漏れたその声は, 薬で麻痺した喉の奥から絞り出された, か細い響きだった. 手足は麻痺し, 体は熱く, まるで溶けていくようだった. 私のスマートウォッチが, 誰かに繋がろうと必死に光っている. 最後の頼みの綱. 愛する婚約者, 奥村正人. 彼だけが私を助けられると思っていた. だけど, 彼が私を信じてくれないことも知っていた. 美奈子の巧妙な嘘が, 私たちの間に深い溝を掘っていたから. 私は, 産業スパイの濡れ衣を着せられ, 正人の信頼を失った. 体は鉛のように重く, 意識は薄れていく. それでも, 微かな希望が私を突き動かした. 腕に嵌めたスマートウォッチの音声機能を, 震える唇で操作する. 「…S…O…S…」. 掠れた声が, 命令として認識されたのか, ディスプレイが青く光った. 数時間前, 私は美奈子に呼び出された. 「兄さんに最後に話しておきたいことがあるって言ってたでしょう? ここで待ってるから, 早く来てね」. 彼女の甘い声に騙され, この廃墟のような場所に連れてこられた. そして, すぐに私の体は拘束され, 口には粘着テープが貼られた. 美奈子の顔は普段の可憐な妹のそれとは全く違っていた. 歪んだ笑みを浮かべ, 私の腕に針を刺した. 「兄さんはね, 私のものなの. あなたみたいな嘘つき女に, 兄さんを渡すわけにはいかないのよ」. その時, 私は以前, 正人への最後の連絡手段として, スマートウォッチの緊急通報設定を密かに変更していたことを思い出した. もしもの時のために. それが今, この絶望の中で唯一の希望だった. 喉は渇き, 体中の関節が軋む. 薬のせいで思考が鈍るけれど, それでも, 私は生きようと必死だった. スマートウォッチの画面が, 正人の名前を表示している. 繋がっている. 私の心臓は, 激しく脈打った. 「正人さん... 」. 声を出そうとするけれど, 喉は締め付けられ, ただ, か細い呻き声しか出てこない. その時, 電話の向こうから, 聞き慣れた正人の声が聞こえた. 「またか. cocoro, もういい加減にしろ. 会議中なんだ」. 彼の声は, 冷たく, 感情がこもっていなかった. 私の心臓が, きゅっと掴まれたように痛んだ. 「違う, 正人さん, 私は... 」. 言葉にならない. 体は思うように動かない. 目の前には, 美奈子が冷たい目で私を見つめている. 背後からは, ガソリンのような臭いが漂ってくる. 美奈子が持っていたライターの炎が, ゆらゆらと揺れている. 炎が, 私の視界を赤く染めていく. 「また自分を困らせるための狂言か? 」. 正人の声が, 電話の向こうから聞こえる. それは, 私を信じない彼の, 決定的な言葉だった. そんなはずはない. 私は嘘をついていない. 私は彼の会社の大切なデータなんて盗んでいない. どうして, どうして信じてくれないの. 必死に首を振る. だが, 正人は私の声を聞いていない. 彼は, 私が美奈子の策略に嵌められ, 産業スパイの濡れ衣を着せられたことを, 真実だと信じ込んでいる. 「信じて... お願い... 」. 力を振り絞って, もう一度, 声を出す. だが, それはやはり, か細い呻き声でしかなかった. 美奈子の冷酷な目が, 私を射抜く. 彼女の顔には, 勝利の笑みが浮かんでいた. 「兄さんは, 本当にあなたを嫌っているのね. あなたの声を聞いただけで, こんなに冷たくなるなんて」. 美奈子が, 私のスマートウォッチを奪い取ろうと手を伸ばす. 私は, 必死に腕を引いた. それが, 最後の抵抗だった. 「もう俺を巻き込むな. 勝手にしろ」. 正人の声が, 電話の向こうから, 私の耳に直接響いた. その一言が, 私の心の中で, 最後の希望の光を消し去った. 私の体から, 抵抗する力が抜けていく. スマートウォッチが, 美奈子の手に落ちた. 美奈子は, 満足そうにそれを眺めると, 無造作にライターの炎に投げ込んだ. 炎が, 小さな機械を瞬く間に飲み込んでいく. 電話が切れる音がした. プツン, と, 世界から音が消えたようだった. 私の心臓の鼓動だけが, どくどくと, 不気味に響く. もう, 何も聞こえない. もう, 誰も, 私を助けてくれない. 正人さんの言葉が, 私の全てを砕いた. 「勝手にしろ」. そうか, 私のことなんて, どうでもいいんだ. 私を愛しているはずの, 私だけを愛していると誓ってくれたはずの, たった一人の人からの, 最後の言葉. それが, これだった. 疲れた. もう, 何もかも, どうでもいい. 昔, 全身を焼くような痛みに襲われたことがある. 美奈子を火災から救った時だ. あの時も, 私は正人さんに信じてもらえなかった. 「また自分を困らせるための狂言」. この無関心こそが, 私を殺した. 私の魂が, 肉体から抜け出すのを感じた. 私は, もういない. 「助けて, 正人さん... 」. 再び, 声にならない声で叫んだ. 目の前には, 美奈子が立っていた. 冷酷な笑みを浮かべ, 私の体を見下ろしている. 私は, 最後の力を振り絞り, スマートウォッチの音声機能に語りかけた. 「…緊急通報…」. 微かな声が, スマートウォッチに届いたのか, 画面が青く光った. 私の体は, 縛られたままだ. だが, ほんの少しだけ, 手首が緩んでいた. 体をずらし, 指先でスマートウォッチのボタンを叩く. 「…奥村…正人…」. 私の声が, AIに認識された. 電話が繋がるまでの数秒が, 永遠のように感じられた. どうか, どうか, 今度こそ. 正人さん, 私の声を聞いて. 願いは届き, 電話は繋がった. 「正人さん... 」. だが, 喉から出るのは, ただの呻き声だけだった. 言葉にならない. 「あら, そんなことして, 楽しい? 」. 美奈子の声が, 私の耳元で響いた. 彼女は, 私のスマートウォッチを奪い取ると, 電話の向こうに向かって, 甘えた声で言った. 「もしもし? 兄さん? 私, 美奈子よ」. 正人の声が, 電話の向こうから聞こえる. 「美奈子か. cocoroはまた何か言ってるのか? 」. 「うん... なんだか, また兄さんを困らせようとしているみたいで... 」. 美奈子の声は, とても優しかった. 私の口は, 粘着テープで塞がれた. 体は, もう動かない. 「もう俺を巻き込むな. 勝手にしろ」. 正人の声が, 電話の向こうから聞こえた. それが, 私への, 最後の言葉だった. 美奈子は, 満足そうに私のスマートウォッチをライターの炎に投げ込んだ. 電話が切れた. 世界は, 炎の音と, 美奈子の高笑いに包まれた. 私の最後の希望は, 燃え尽きた. 正人さんは, 私を信じなかった. たった一言, 「勝手にしろ」という言葉で, 私の命を奪った. 数時間後. サイレンの音が, 遠くから聞こえてきた. 消防車とパトカーの赤い光が, 廃墟の壁を照らす. 私は, 魂となって, その光景を見ていた. レスキュー隊員たちが, 訓練された動きで中に入っていく. その中に, 見慣れた顔があった. 東京地検特捜部の検事, 奥村正人. 彼は, この謎の多い自殺事件の担当検事に任命されたのだった. 私は, 彼の隣に佇んだ. 「正人さん... 」. 私の声は, 彼に届かない. 燃え尽きた建物から, 私の肉体が運び出された. 焦げ付き, 原型を留めていない体. 「身元不明の遺体を発見しました」. レスキュー隊員の声が, 正人の耳に届く. 彼は, ちらりと遺体を見たが, すぐに視線を別の場所に移した. 彼の顔には, 何の感情も浮かんでいなかった. 彼は, 私のことなど, 少しも気にしていないようだった. 彼は, 私を認識していない. 私は, 彼の婚約者だったのに. 彼の愛する人だったのに. 私の魂は, 激しく震えた. 信じてほしかった. ただ, それだけだったのに. もう, 全ては手遅れだった. この絶望的な現実は, もう変えられない. 翌日. 新聞の一面には, 廃墟の火災事件が大きく報じられていた. 社会は, この「謎の多い自殺事件」に衝撃を受けていた. 警視庁捜査一課と東京地検特捜部が合同捜査を開始した. 「奥村検事. この事件の担当を命じる」. 上司の声が, 正人の執務室に響いた. 「身元不明の遺体, ですか」. 正人の声は, 冷徹だった. 「ああ. 火災による損傷が激しく, 身元特定は困難を極めている. だが, 君の鋭い視点と, 過去の産業スパイ事件での功績を買って, この事件を君に任せることにした」. 上司は, 正人の顔を真っ直ぐに見つめた. 正人は, 無言で頷いた. 彼の顔は, まるで感情のない彫刻のようだった. 彼は, 私の死を捜査することになる. 皮肉な運命. 私の魂は, 悲しみと, ほんの少しの安堵を感じた. 正人さんが, 私の死の真相を突き止めてくれる. それが, 少しだけ, 私を慰めた. 「ごめんなさい, 正人さん」. 私は, 心の中で呟いた. 私の遺体は, 都内の総合病院の霊安室に運ばれた. 正人さんが, ここに来るだろう. 私の魂は, 冷たい空気に包まれた霊安室で, 彼を待っていた. しばらくして, 霊安室のドアがゆっくりと開いた. 正人さんが, 疲れた顔で入ってきた. 彼の目は, 鋭い光を宿している. 「遺体の状況を詳しく報告してくれ」. 正人の声は, 低く, 感情を感じさせなかった. 鑑識の担当者が, 遺体安置台のカバーをゆっくりと捲った. 「遺体は全身に重度の火傷を負っており, 特に顔面と四肢の損傷が激しい. 性別は女性と判明しておりますが, 年齢の特定は困難です」. 正人の眉間に, 微かな皺が寄った. 「他に, 何か痕跡は? 」. 彼の声に, 僅かな苛立ちが混じった. 「はい. 手首と足首に, 不自然な索状痕が見られます. 生前, 緊縛されていた可能性が高いです」. その言葉に, 正人の顔が凍りついた. 彼の表情は, 一瞬で緊迫したものになった. 私の魂が, 震えた. あの時の, 縄の感触. 美奈子の冷酷な笑み. 全てが, 鮮明に蘇る. 「…拘束されていた…ということか」. 正人の声が, さらに低くなった. 「はい. そして, 口元にも粘着テープによる圧迫痕が確認されました. 声を出せないようにされていたと思われます」. 「なに... ! 」. 正人の顔に, 初めて怒りの色が浮かんだ. 彼の拳が, ぎゅっと握り締められる. 私の魂は, その怒りが向けられているのが, 私ではないことに気づいた. 彼は, 被害者の無残な姿に, 純粋に怒りを感じているのだ. 「さらに, 体内からは高濃度の睡眠薬が検出されました. 抵抗力を奪われた状態で, 火災に巻き込まれた可能性が非常に高いです」. 鑑識担当者の言葉に, 正人は激しく壁を叩いた. ゴン, と鈍い音が霊安室に響き渡る. 「つまり, 彼女は... 抵抗もできず, 声も出せず, 薬で朦朧としたまま, 火に焼かれて死んだ, と! 」. 正人の声は, 怒りに震えていた. 「はい. 極めて残忍な事件であると断定できます」. 鑑識担当者も, その言葉に頷いた. 「奥村さん... これは, あまりにも酷い... 」. 若い検事助手も, 顔を青ざめさせて呟いた. 「犯人を, 必ず捕まえる」. 正人の目に, 強い決意が宿った. 彼の怒りは, 私の魂を少しだけ温めた. だが, その怒りの矛先が, まだ私に向けられていないことを知ると, 私の心は再び冷えていく. 「それと, もう一つ, 奇妙なものが見つかりました」. 鑑識担当者が, 正人に向かって言った. 「なんだ? 」. 正人の声に, 再び鋭さが戻る. 「遺体の左手首から, 金属のような破片が発見されました. 衣服に付着していたと思われますが, 火災の熱で溶けて, 遺体の一部と癒着していました」. 正人の顔色が, さっと変わった. 私の魂にも, 不穏な予感が走った. 「…金属…? 」. 正人の声が, 僅かに震えている. 「はい. 非常に小さく, 判別が難しいのですが... どうも, スマートウォッチのようなものの一部ではないかと」. 「やめろ! 」. 正人の声が, 鑑識担当者の言葉を遮った. 彼は, 深呼吸をすると, 再び声を絞り出した. 「…徹底的に調べてくれ. これ以上, 見落としがないように」. 彼の目には, 何かを拒絶するような, 強い光が宿っていた. 彼は, まだ, 信じたくないのだろうか. 「奥村検事, 何かご心配ですか? 」. 上司が, 正人の肩に手を置いた. 「いえ... ただ, この遺体が, 何かを隠しているように感じられて」. 正人は, 私の遺体から目を離さなかった. 私の魂は, 必死に彼に呼びかけた. 「正人さん, 私よ! 私がここにいるのよ! 」. だが, 声は届かない. 「そういえば, 桜庭さんの安否確認の連絡は取れたのか? 」. 上司が, 何気なく言った. 正人の顔色が, 一瞬で変わった. 「あの女のことなど, どうでもいい」. 彼の声は, 氷のように冷たかった. 私の魂は, 再び全身が凍ったように感じた. 私の母は血の繋がりがない. 養子だ. しかし, 彼にとっては, 私自身も家族ではないと切り捨てた. 「あの女」という言葉が, 私を深く抉る.

第2章

桜庭心 POV: 「桜庭さんのことは, もういいでしょう. 彼女はいつも, 私を邪魔することしか考えていない」. 正人は, 上司の言葉を遮り, 冷たく言い放った. 私の魂は, その言葉を聞き, 全身に再び氷が流れ込んだように感じた. 彼の顔には, 明らかな不快感が浮かんでいた. 「もう, 桜庭の話はしないでくれ」. 正人の声は, 冷厳で, 私の遺体から目を離さない. 彼の瞳には, 言いようのない嫌悪が宿っていた. 「彼女は, 私にとって, ただの厄介者だ」. 正人は, 吐き捨てるように言った. 「彼女と関わると, 私の評判に傷がつく」. 彼は, そう言って, 私に背を向けた. 傲慢で, 冷酷な言葉. 上司が何かを言おうとしたが, 正人はそれを手で制した. 「私には, たった一人, 愛する妹がいる. 美奈子だけだ」. 正人の言葉が, 私の心臓を深く抉った. 私を愛していると, そう言ったはずなのに. 私の魂は, 彼の言葉に, 深く傷ついた. 美奈子. そう, 彼女は養子だった. 幼い頃, 火災で両親を失い, 奥村家に引き取られた. その火災で, 私は美奈子を庇って左腕に深い火傷を負った. その傷跡は, 今も残っている. だが, 美奈子は, その火事を「私が起こした」と正人に嘘をついた. 私が, わざと家に火をつけ, 美奈子の両親を殺したと. 正人は, 美奈子の言葉を信じた. 私が, 自分の利益のためなら平気で嘘をつき, 人を裏切る人間だと. 私の誠実な心は, 美奈子の巧妙な嘘によって, 正人の心の中で完全に破壊された. 彼の中で, 私は「嘘つきで信用できない女」になった. 美奈子は, 常に正人の愛情を独占しようとした. 彼女は, まるで天使のような顔で, 正人の前ではいつも可憐な妹を演じた. 私が正人と婚約した時も, 彼女は表向きは祝福してくれた. だが, その裏で, 彼女は私を陥れるための恐ろしい計画を着々と進めていたのだ. 正人は, 美奈子の言葉だけを信じた. 彼女の嘘に操られ, 私のどんな訴えも, 私のどんな愛も, 彼の心には届かなかった. 「お前は, この家を焼いた放火犯だ」. かつて, 正人にそう言われ, 私は家を追い出された. 私は, 自嘲の笑みを浮かべた. もう, 涙も出ない. ただ, 心が, 凍り付いていく感覚だけがあった. 「あの女は, いつも私の邪魔ばかりする. 昔からそうだ」. 正人の声には, 明確な憎悪が込められていた. 私の魂は, 悲痛な叫びを上げた. 正人さん, お願い, 私を信じて. 私だけが, あなたの真実を知っている. あなたの愛を, ただ一度だけ, 私に向けてほしかった. 「また私と美奈子の婚約を邪魔しようとしているのだろう」. 正人の言葉は, 私の存在そのものを否定した. もし, 彼が真実を知ったら, どうなるだろう. 私の魂は, 正人の顔を見つめた. 彼は, 私の死を喜ぶのだろうか. 全身が, また冷たくなった. 上司は, 正人の腕を掴み, 彼に語りかけた. 「奥村検事, 君は桜庭さんを誤解している. 彼女は, 君が思っているような人間ではない」. 上司の顔には, 明らかな不満が浮かんでいた. 「桜庭さんは, 君の父の会社のデータ流出事件でも, 必死に君のために動いていた. 君のために, どれだけ努力していたか, 君は知らないだろう」. 正人は, 嘲笑した. 「全ては, 彼女の演技だ. 私を欺くための」. 「違う! 彼女は, 心から君を心配していた. 君が多忙で過労死寸前だと知って, 何も言わずに君の弁当を作って届けたり, 君が体調を崩した時は, 一晩中看病してくれたんだ! 」. 上司の声が, 次第に大きくなる. 「そんなことを, 彼女は君に一度も言わなかっただろう? 」. 正人は, 頑なに首を横に振った. 「私は, 美奈子の言葉しか信じない」. 彼は, 上司から目を背けた. 「もういい. この話は終わりだ」. 正人は, そう言って, 会話を打ち切った. 上司は, 諦めたようにため息をついた. その時, 正人が, 何かを思い出したように言った. 「ところで, 大規模な失踪者報告は上がっていないのか? 」. 「今のところ, そのような報告は入っていません」. 検事助手は, 首を横に振った. 「身元不明の遺体が出て, 誰も騒がないのか」. 正人の声には, 苛立ちが混じっていた. 私の魂は, 正人さんが, 私のことを心配してくれているのかと, 一瞬だけ, 期待した. だが, その感情はすぐに消えた. 彼は, ただ, 事件の状況を憂いているだけなのだ. 「よし, 昼食休憩にする」. 正人は, そう言って霊安室を出て行った. 上司は, 正人の背中を見つめながら, 独り言のように呟いた. 「桜庭さん... あの子, 最近やけに様子がおかしかったな... 」. 私の魂は, 上司の言葉に反応した. 彼は, 私の異変に気づいていたのだろうか. 「何かありましたか? 」. 検事助手が, 上司に尋ねた. 「いや, ただ... 最近, 桜庭さんが, やけに奥村検事を気にかけているようなことを言っていたんだ. まるで, 何かを予感しているかのように... 」. 上司の言葉が, 私の心を締め付けた. その時, 正人が廊下から戻ってきた. 彼の顔には, 不機嫌そうな表情が浮かんでいる. 「また桜庭が, 私を困らせるような嘘をついているのか」. 正人は, そう言って, 上司を睨みつけた. 「奥村検事! 君は, いつまでそんなことを言うつもりだ! 」. 上司の声が, 怒りに震えた. 正人は, 冷たい目で上司を見つめた. 「桜庭さんが, 君にどんなに尽くしてきたか! 君の妹, 美奈子さんとは違うんだ! 」. 「やめろ! 」. 正人が, 上司の言葉を遮った. 「あの女は, 私に助けを求める電話をかけてきて, いつも私を困らせていた. 嘘ばかりついて」. 正人の声には, 明らかな嫌悪が込められていた. 「それは... ! 」. 上司が, 何かを反論しようとした. 「黙れ! 」. 正人の声が, 霊安室全体に響き渡った. その時, 正人の携帯が鳴った. 彼の顔から, 一瞬で不機嫌な表情が消えた. 私の魂は, 不穏な予感に襲われた.

第3章

桜庭心 POV: 正人の携帯画面に表示された名前を見た瞬間, 彼の表情は, 一瞬で柔らかなものに変わった. こんな顔, 彼が私に見せてくれたのは, もう何年も前のことだ. 「もしもし, 美奈子? どうしたんだ? 」. 彼の声は, これまでに聞いたことのないほど優しく, 愛に満ちていた. 私の心臓は, ナイフで抉られたように痛んだ. 「大丈夫か? 何かあったのか? 心配だよ」. 正人は, 美奈子に, 私が決して見ることのできなかった優しい笑顔を向けた. 美奈子. 彼女は, 私の全てを奪っていった. 正人の愛も, 私の信用も, そして, 私の命も. 彼女の名前を聞いただけで, 私の魂は全身が凍り付いたように感じた. 私の心臓は, きりきりと音を立てて締め付けられ, 息ができない. 「すぐに会いにいく. どこにいるんだ? 」. 正人は, 美奈子に, 優しく語りかけた. 「まさか, あの女がまたお前を傷つけようとしたんじゃないだろうな? 」. 彼の目は, 私の遺体安置室の方向を鋭く睨んだ. 「もしそうなら, 絶対に許さない」. 正人の声は, 怒りに満ちていた. 「必ず, あいつを消してやる」. 彼の言葉は, 私に向けられた明確な脅迫だった. 私の魂は, 深い絶望に包まれた. 彼は, 本当に私を排除したがっている. 「心配するな. 私が全て解決するから」. 正人は, 再び優しい声で美奈子に語りかけた. 私の魂は, 自嘲の笑みを浮かべた. 彼は, 私の死を, 今, この場で宣言しているのだ. 彼は, 本当に, 私が死んでほしいと願っているのだろうか. その思いが, 私の心を深く深く抉った. 「愛しているよ, 美奈子」. 正人の言葉が, 私の魂を打ち砕いた. 私の心は, 完全に死んだ. 全身に, 冷たい水が流れ込んでくるようだった. 彼から, 愛されていると感じたことなんて, 一度もなかったのに. 「ええ, 私もよ, 兄さん」. 電話の向こうから聞こえてきたのは, 美奈子の甘く, しかしどこか悪意に満ちた声だった. 私の魂は, その声を聞いた途端, 全身が震え上がった. 美奈子. 私は, 必死に声を上げようとした. 「正人さん, 美奈子に騙されているのよ! 」. だが, 声は出ない. 私の叫びは, 誰にも届かない. 私の存在は, 正人にも, 美奈子にも, 見えていない. 彼女の声は, 甘美な毒薬のように, 私の魂を蝕んでいく. 正人は, 電話を切ると, 満足そうな笑みを浮かべた. 「美奈子が心配している. 桜庭の安否を確認してきてくれ」. 正人は, 上司に向かって言った. 彼は, 私の遺体安置室に向かおうとした. 「奥村検事! 」. 上司が, 慌てて彼を呼び止めた. 「桜庭さんの携帯, 繋がらないんです」. 上司の顔には, 真剣な心配の色が浮かんでいた. 「どうせまた, 私を困らせるための狂言だろう」. 正人は, 冷たく言い放った. 「違います! 桜庭さんは, そんなことをする人では... 」. 上司が, 反論しようとした. 「もういい」. 正人の言葉が, 上司の言葉を遮った. 正人は, 再び霊安室を出て行こうとした. その時, 正人の携帯が, 再び鳴った. 彼の顔から, 不機嫌な表情が一瞬で消えた. 私の魂は, またしても, 不穏な予感に襲われた.

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