隠し結婚の相手は親友のパパ。
第1章 親友から継母になってと頼まれて

部屋は真っ暗だった。高橋美月は男に押し倒され、顎を掴まれていた。「誰の差し金だ?」 「人違いです、私は――」彼女が言い終わる前に、男は強引に唇を塞ぎ、反論の余地を一切与えなかった。 美月は目を閉じた。アルコールのせいで、全身から力が抜けていく。 今日、彼女は継母に騙されてここへ来た。佐藤会長との取引をまとめれば、兄の治療費を出してくれるという話だった。 ところが実際に来てみると、継母の狙いは、六十余歳の佐藤会長に彼女を愛人として差し出すことだと分かった。 ホテルの部屋に閉じ込められた彼女は、会長がシャワーを浴びている隙にどうにか逃げ出し、空き部屋の前に隠れていた。そこをこの男に突然引きずり込まれ、壁に押し付けられたのだ。 まさか自分の初めてを、見ず知らずの男に奪われることになるなんて。 狂おしい一夜だった。 翌朝の明け方、美月が目を覚ますと、隣にいたはずの男の姿は消えていた。彼女はホッと息をついた。 全身の痛みに耐えながら、床に落ちた服を拾い上げて部屋を出ようとする。首から下げていた琥珀のネックレスが落ちたことには、まったく気づいていなかった。 リビングに出た途端、冷たくそびえるような男の後ろ姿が目に飛び込んできた。 男は低い声で言った。「起きたか」 美月はギョッと身を震わせた。 昨夜は顔もまともに見えなかったし、今も後頭部しか見えない。それでも、その背中からは近寄りがたい威圧感が漂っている。 この男はヤバい。 「お前の手元にあるキャッシュカードには2000万入っている。それを持って、二度と俺の前に姿を見せるな」 藤原悠真の口調には、有無を言わさぬ響きがあった。 藤原文枝が彼に女をあてがうのは、単に嫁をもたせたいわけではなく、彼の行動を監視するためだろう。 美月は背筋を伸ばして言い返した。「私はそんなことでお金を稼ぐ女じゃありません!」 いくら高橋家で冷遇されている令嬢だとしても、体を売るまで落ちぶれてはいない。 悠真の声はさらに冷たさを増した。「金を受け取って薬を飲め。ある日いきなり私生児が現れて目障りになるのはごめんだ」 「誰が見ず知らずの男の子供なんて!こっちだって産みたくありません!」 美月はぼそっと呟くと、黙ってテーブルの上の薬を飲んだ。 そして1枚の硬貨を投げ捨てた。「ピル代は私が払います。私も同意見ですから」 その硬貨がコロコロと悠真の前に転がると、彼の顔にはたちまち暗い影が差した。 彼の低く静かな声が響く。「カードを持っていけ。金を受け取るのは恥じゃない」 美月はそれを無視し、まっすぐに出て行った。 何があろうと、自分を売るような真似は絶対にしない。 だが、確実にお金は必要だ。親友の藤原莉乃に頼み込んで借りるしかない。 悠真が立ち上がると、テーブルの上にカードが残されたままだった。彼は鼻で笑った。 ーーこの女、どうせ気を惹くための駆け引きをしているのだろう。 悠真がバスルームでシャワーを浴びて帰る準備をしていると、鈴木秘書が琥珀のネックレスを手に入ってきた。「藤原社長、こちらあなたのものですか? 清掃員が見つけまして」 何気なく目を上げ、その琥珀に視線を落とす。 次の瞬間、彼の瞳孔が急激に収縮した。 悠真の深い瞳の奥で複雑な感情が渦巻く。「すぐに昨夜の女を探し出せ」 鈴木秘書は頷き、指示通りに動き出した。 *** 美月がホテルを出た直後、病院から電話がかかってきた。 『お兄さんの医療費、治療を中断せざるを得ませんよ! 今はICUですが、支払いがなければ一般病棟に移すしかなく、脳死の確率が極めて高くなります!』 美月は焦りで目を赤くした。『お願いします、あと30分だけ待ってください。すぐにお金を用意しますから、兄を助けてください!』 彼女は道端に走り出てタクシーを拾い、莉乃に電話で借金を頼みながら、必死に涙をこらえた。 こんなことなら、さっきの2000万を受け取っておくべきだった。 兄の命が危ないというのに、安いプライドなんてどうでもよかった! 幸い、莉乃が2000万を振り込んでくれたおかげで、病院に戻ってすぐに支払いを済ませることができた。だが、医者からは2000万では1週間しかもたず、毎週2000万が必要だと告げられた。 美月は全身が凍りついたように冷たくなり、先ほどまで走り回っていたせいで胸の奥に血の味が広がった。 昨夜の継母の件はまだケリがついていない。だが、今日は体が痛くてたまらないし、迂闊に乗り込んでまた罠に嵌められたらおしまいだ。 今はどうやってやり返すかを考えている余裕はない。ただひたすらに、兄の治療費をどう工面するかを考えるしかなかった。 スマホの通知音が鳴りやまない。画面を見ると、親友の莉乃からのLINEの嵐だった。またしても継母になってくれと催促している。 「みっちゃん、お願いだから私の継母になってよ!意地悪な継母なんて絶対に嫌だ!うちのお父さんと結婚すればお金は使い放題だし、お兄さんだって助かるよ!」

第2章 すぐに入籍しに行く

高橋美月は少し呆然としたが、やはり断った。 彼女は返信した。「私とお父さんじゃ、釣り合わないでしょ」 彼女は藤原莉乃の父親に会ったことはないが、どう考えても世代が違う。 彼女は24歳で、莉乃は18歳。お父さんはおそらく40代だろう。 彼女と莉乃はこんなに仲が良いのに、お金のために彼女の父親に嫁ぐなんて、人の弱みにつけこむようなことはできない。 そう考えていると、携帯の着信音が鳴り、彼女は電話に出た。 電話口からは男の声が聞こえた。『高橋さん、うちの社長があなたと契約の話をしたいそうです。大至急降りてきてください。下でお待ちしています』 美月は首を傾げた。『社長って、誰ですか?』 男は答えた。『昨晩の方です。 一刻も早く降りてきてください。社長がお会いしたがっています。お兄様の医療費の2000万円は既に口座に振り込みました』 美月はハッとして、メッセージを開くと、確かにきっちり2000万円の入金記録があった。 彼女には分からなかった。お金をくれたのは、二度と自分に会わないためではなかったのか? それなら、どうしてまた会おうとするの? 鈴木秘書は言った。『あと3分です。 3分以内に降りてくれば、さらに2000万円振り込みましょう』 美月は慌てて階段を駆け下りた。 彼女はただ、この男が約束を破らないことだけを祈った。 30分後、美月はMグループのビルへと連れてこられた。 エレベーターは最上階まで一気に昇り、鈴木秘書は美月を立派な社長室のドアの前へと案内した。 彼は軽くドアをノックし、恭しい口調で言った。「藤原社長、お連れしました」 「入れ」 藤原悠真の声は低く冷ややかだった。 美月が中に入ると、机の上に置かれた銘板が真っ先に目に入った。そこには「Mグループ社長 藤原悠真」とあった。 Mグループは、テクノロジー業界で世界をリードするブランドであり、時価総額は世界トップ5に入る。社長の悠真は表に出ることを好まず、冷徹で、決断力が高いことで知られていた。 彼女は内心怯え、視線の端でチラリと悠真を盗み見ることしかできなかったが、そこには男の冷たく気高い顔があった。 昨夜はよく見えなかったが、確かにとてもハンサムだ。初めての相手が60代のおじいさんでなかったことに、彼女は安堵した。 美月は表面上は平静を装っていたが、膝の裏が小刻みに震えていた。「何の用で私を呼んだの?借用書でも書かせるつもり?」 「契約結婚だ」悠真は強引な口調で言った。「兄の治療費が必要だと聞いた。俺が金を出す。お前は俺の家族の相手をしろ」 美月は心底驚いた。「あなたのような立場の人が、結婚相手に困るわけないでしょう? それに、今朝『二度と目の前に現れるな』って言ったばかりじゃない」 彼女は男に傷つけられることにひどく怯えていた。 元カレは婚約直前に、彼女の全財産を巻き上げて消えただけでなく、クレジットカードまで勝手に使い倒していたのだ。 突然、雲の上の存在である社長が自分と結婚すると言い出し、多額の金を与えて兄の治療費まで出してくれるという。しかも、彼女はただ妻の役を演じるだけでいい。 あまりに好条件すぎて、罠にしか思えない。 傍らにいた鈴木秘書がとりなすように言った。「高橋さん、深く考える必要はありませんよ。今回の契約はあなたにとって得しかなく、損など一切ありません」 美月は鈴木秘書の顔に「豪門の内情は詮索無用」と書かれているのを見て、それ以上追及するのをやめた。 「私には娘がいる。面倒を見てほしい」 悠真は美月の反応を観察した。 美月は驚くどころか、かえって納得がいった。「やっぱりね」 利益には必ず同等の代償が伴うものだと彼女は分かっていたのだ。 鈴木秘書は書類を差し出した。「高橋さん、我々の誠意を示すため、すでにお兄様の病院の口座に1億円を立て替えて支払いました。これがその明細です」 「これだけのお金があれば、昨夜の男もしばらくはちょっかいを出してこないでしょう」 美月は病院の公印を見て、自分の心が揺らいでいるのを認めざるを得なかった。 1億円!これなら、兄が集中治療室で目を覚ますまで持ちこたえられるはずだ。 それに、兄は意識を失っているため、腕のいい医者を見つけて回復させたいと思っていた。悠真という後ろ盾があれば、その問題も簡単に解決できるだろう。 彼女は机の上のペンを手に取った。「契約書は? サインするわ」 この男の腹の内は読めなかったが、どうやら金で解決するのが好きで、人を脅すのも好きなようだ。 結婚契約書にははっきりと書かれていた。期間は3年、毎月の生活費は最低2000万円、当面は結婚を隠蔽し、変更がある場合は随時協議する、と。 美月は問題ないと考え、サインした。 彼女は、後ろの補足条項に「甲である悠真が離婚に同意しない場合、婚姻期間は10年延長される」と書かれていることなど、全く気が付いていなかった。 彼女はただ心の中で、自分の借金が2000万円から1億2000万円に増えたと考えていた。 借金を返すために、もっとバイトを掛け持ちしなければ。 悠真はすぐに契約書をしまい、鈴木秘書に金庫に入れるよう命じた。「戸籍謄本は持ってるか?」 美月は頷いた。「ええ」 「今すぐ入籍しに行くぞ」悠真は立ち上がって歩き出した。

第3章 寝た相手はまさかの親友のパパ

高橋美月は異存なかった。 だが役所へ入籍に行く前に、藤原悠真は彼女を美容室へ連れて行き、トップスタイリストに一からメイクと着付けをやり直すよう求めた。 美月はそこに座りながら、様々な思いを巡らせていた。 彼女は藤原莉乃に結婚することを伝えるべきか迷っていた。もし伝えたら、莉乃は絶対に怒るだろう。 けれど、こんな大事なことを教えなくても、やはり彼女は怒るに違いない。 美月がそう考えていると、莉乃から電話がかかってきた。 彼女は興奮した声で言った。『みっちゃん、今どこ? パパのカードをこっそり抜き出してきたから、これでお兄ちゃんの治療費を払ってよ。お願いだから、私の新しいママになって!』 美月は慌ててスマホの通話口を押さえ、申し訳なさそうに頭を下げた。「すみません、少し電話に出ます」 彼女は立ち上がって大きな窓のそばへ行き、声を潜めた。『どうしてパパのクレジットカードなんて盗んだの? 早く返しなさい。また一ヶ月も外出禁止にされたらどうするの?』 莉乃は18歳で成人したばかりの、会社で最年少のモデルだ。彼女のマネージャーである美月とは関係も良好で、悩みがあれば互いに打ち明け、慰め合う仲だった。 ここ最近、莉乃はずっと「私の新しいママになって」と彼女にせがんでいたが、美月としてはどうすることもできなかった。 莉乃は泣きそうな声で甘えた。『やだ!お願いだよ、みっちゃん。私が毒親になる継母にいじめられて、義理の妹や弟に財産を奪われて、路頭に迷うのを見捨てる気……?』 美月はほだされそうになった。 今の自分がまさにそのような境遇なのだから、莉乃の気持ちが痛いほどよくわかる。 だが、今は悠真がくれたチャンスを掴まなければならない。まずは彼からお金を借りて、地道に働いて返すしかないのだ。 彼女は複雑な感情を押し殺して慰めた。『莉乃、心配しないで。今やってる用事が終わったら、一緒にいい方法を考えてあげるから』 VIPラウンジ。 悠真はソファに座り、冷ややかな表情でお茶を飲んでいた。 上の階でスタイリングを終えて帰ろうとしていた莉乃は、悠真の姿を見つけて驚きながら近寄った。「パパ!どうしてここにいるの? お見合いの時だって、自分を着飾ったりしないのに」 悠真は淡々とした口調で答えた。「入籍に行くんだ」 「はあっ!?」莉乃は一瞬で毛を逆立てた。「誰と!?どこから湧いてきた女!? 歳はいくつ!? どうせパパのお金目当てでしょ!?」 悠真は目線を上げるのも億劫そうに言った。「向こうは金に困っていて、俺には金がある。ちょうどいいだろう」 莉乃は歯をギリギリと鳴らして怒った。「絶対に認めないからね!パパは私の親友と付き合えばいいじゃん。彼女は賢くて仕事もできるし、それに私にもすごく優しいんだから」 悠真は冷たい顔で言った。「断る」 莉乃はすかさず凄んだ。「もしそんな女を家に迎え入れる気なら言っておくけど、一週間以内に、家の門すらまたげないようにしてやるからね」 「俺から盗んだカードを返せ」 悠真は視線を上げて彼女を見た。 莉乃は顔色を変え、涙ぐみながら悠真を説得しにかかった。「パパ、継母が実の娘をどんな目に遭わせるか分かってるの? どうして私に相談もなく結婚なんてしちゃうのよ?」 そう言い合っていると、美月が階段から降りてきた。 彼女は純白のフレンチチュールドレスを身にまとい、長い髪を下ろし、優しく清楚な雰囲気を漂わせていた。 悠真は見上げた途端、思わず見とれてしまった。 彼が丹念に選んだドレスは、みつによく似合っていた。 莉乃も振り向いて美月を見るなり、目を丸くした。「みっちゃん!」 「莉乃!」美月もその場で立ち尽くした。 なぜ莉乃が悠真の隣にいるのか、彼女にはさっぱりわからなかった。 ーーもしかして、悠真は莉乃のお兄さんなのだろうか? 悠真は少し眉をひそめた。「知り合いか?」 「この人が私の親友だよ」 莉乃は得意げに悠真へ紹介した。 悠真は一瞬言葉を失った。 彼自身、莉乃から美月のことを何度も聞いていたが、一緒に食事に行こうと誘われるたびに断っていた。 もしもっと早く誘いに乗っていれば、彼のみつがこんなにも身近にいたことに、もっと早く気づけたかもしれないのに。 美月は二人の関係に気づかないまま、ドレスの裾をつまんで降りてきた。 莉乃の隣に立つと、声を潜めて言った。「莉乃、ごめんね。この人がびっくりするくらい大金を出してくれるから、私、彼と結婚することになったの」 莉乃は真剣な口調で尋ねた。「いくらもらったの?」 美月は正直に答えた。「兄の治療費として1億円立て替えてくれて、毎月の生活費が最低2000万円」 莉乃は突然キレて、悠真を振り向き睨みつけた。「パパ!どうして私のお小遣いは2000万円がせいぜいなのよ!」 「……パパ?」 美月はその場に凍りついた。聞き間違いではないかと自分の耳を疑った。 莉乃は美月を引っ張って悠真の前に出た。「みっちゃん、紹介するね。これが私のパパ。37歳の独身貴族だよ」 美月は恐ろしくて悠真の顔を見られず、気まずそうに挨拶した。「藤原社長」 まさか、あの日寝た相手が、親友のパパだったなんて!なんて因果なことなの!

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